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2020年11月 7日 (土)

明治日本を描いたフランス人、ビゴー

 今、新型コロナのせいでいろいろがストップ、動きも制限されている。それでも旅に出る人がいるが、少ない。経営難の飛行機会社は減便だけでは足りず人員配置など苦慮している。また、国産発のジェット旅客機開発も凍結されてしまった。
 飛行機があると短時日で海外旅行できる。しかし、開国まもないヤング・ジャパンに外国から来るのは大変。長い船旅、金と時間の余裕に加え、強い好奇心、情熱も必要である。
 それでも、様々な分野の御雇い外国人 、居留地の役人や商人、それぞれの家族も含め多数来日している。中には日本見聞録を絵や文章で残した外国人も居る。欧米人が見た日本の姿かたち、往事の暮らしは後世の私たちの興味をもさそう。
 しかし、ビゴー描く「明治の日本人」を初めて見たとき、あまり良い気分ではなかった。ところが、素描集など繰るうちに画中の人物の会話が聞こえそうになった。
 数多い作品中に伊藤博文や自由民権運動、日清・日露戦争なども登場、また、ドイツやイギリスを冷ややかにみるフランス人という面でもビゴーについて知りたくなった。
 年譜は『ビゴー日本素描集』を参考にした。なお、作品を勝手に挿入していいか分からず、選ぶ能力もないので割愛。風刺画集・諷刺雑誌など地域の図書館でごらんください。

   ビゴー Georges Ferdinand Bigot

 1860万延元年4月7日、パリで生まれる。父は官吏。母はパリの名門出の画家。
 1868明治元年、8歳。父オーギュスト・ビゴー、死去。
 1871明治4年、パリ・コミューン。燃えさかる市街と殺戮を見、その模様をスケッチしてまわる。母は息子の画才をさとり、画の教育をはじめる。
 1872明治5年、美術学校エコール・デ・ボザール入学。
 1876明治9年、家計を助けるため美術学校を中退、新聞・雑誌の画の仕事をする。
 1878明治11年5月、18歳。パリ万国博覧会・日本館展示を見学。
    パリ万国博覧会:日本はフランスの勧誘により出品。そのなかの浮世絵は西欧の美術や音楽に影響を与えた(ジャポニズム)。
 1880明治13年、20歳。未亡人の一人息子ということで兵役を短期で免除される。
   ルイ・ゴンズ『日本美術』2巻の挿絵の一部を依頼され、日本絵画に興味を持つ。
 1881明治14年、ゾラの『ナナ』に挿絵を描く。
   日本に行く方策を日本公使館付き武官・池田少介に相談。12月11日、フランス郵船ペイホ号でマルセイユを出発。
 1882明治15年1月26日、香港で乗り換えたタナイス号で横浜到着。同船にはイギリス公使パークス、アメリカ人宣教師ヘボンらが乗っていた。
   7月、ワーグマン主筆『ジャパン・パンチ』にビゴーの肖像漫画がのる。
   10月、大山巌の紹介で、陸軍士官学校の画学教師、約2年間。
  <余談>
   初期の陸軍幼年学校に在学中、後の陸軍大将・柴五郎はフランス語を習い、フランス語の作文を褒められている。ところで、のち軍がドイツ式に変わるとドイツ語で苦労する生徒がいた。ただし、もっとも苦労したのは漢文だという。戊辰戦争など維新の混乱期に勉強する時間がなかったからである。

 1883明治16年2~7月、23歳。司法省旧法学校フランス語教師。
 1885明治18年3月、『団団(まるまる)新聞』に漫画「手もびっくり」「朝鮮をめぐる日清露("漁夫の利"の原型作品)を描く。
   10月、「五番町の仏学塾-中江篤助(兆民)の学校の入り口」を描く。
   12月、『改進新聞』に専属画家として迎えられ、明治19年6月まで寄稿。
    挿絵、千代田の岡松・浅草公園・屋形船・東京風景・東京七公園(飛鳥山ほか)。

 1887明治20年2月、雑誌『トバエ』刊行。月2回、石版刷・横浜居留地の海岸五番館クラブホテルで発行。
   『トバエ』3号に「当局の検閲にひっかかり、間に合わせの静物画(かみそり・はさみ・のこぎり)しか提供できなくて申しわけありません」の記述あり。自由民権運動期に横浜居留地という治外法権の場で発行されていたのである。
  ------15号から、中江兆民の高弟たちが交代でビゴーの利用する石版印刷所にかよって日本文をいれたようだ。日本文入り『トバエ』は、日本の新聞社、雑誌社に送付され、条約改正交渉などのフランスの立場、憲法や国政のドイツ志向の危険性を説いていく(「ビゴー『トバエ』全素描集」)。
 『トバエ』15号「バカンス 田舎の楽しみ、夏島」。
   伊藤博文らしき人物が芸者に横になり芸者にお酌をさせている図で右上に「夏島乃畔 高まくら」とある。神奈川県夏島は伊藤の別荘、秘密裏に明治憲法の起草作業をおこなった場所である。
 『クロッキ・ジャポネ』 「水汲み
   主婦が下駄履きで手桶に水を汲んで運ぶ様を描いている。身仕舞い、姉さんかぶりの顔もきれいに描かれ感じが良い。誇張された洋装の上流夫人の画と比べると、障子張り、洗い張りなどをする庶民の女性を見る目が温かい。

 1888明治21年、保安条例公布。「新年を迎ふる政府の大掃除」という漫画を掲載、民権派、中江兆民・尾崎行雄ら570人に皇居3里外へ退去を命じた事件を諷刺。
   7月、磐梯山噴火の被害を取材、スケッチを多数描く。
   10月15日発行『トバエ』41号が同誌の日本文記載最終号となる。
 1889明治22年2月11日、大日本帝国憲法発布
    フランス人のビゴーは、支持してきた自由民権運動の終焉、ドイツ憲法を手本にした大日本帝国憲法を無念に思い「ああ!仕方がない!」と、ドイツ兵のとがった軍帽の上に投げ出される坊やを描く。
 東京向島州崎村72番地に移転。下町に住み日本人女性の良さを知り、賛美、ついには結婚することにしたのだろう。

 1890明治23年1月、30歳。画集『正月元日』刊行。2月、雑誌『日本人の生活』(日本風俗絵入り新聞)。8月、雑誌『ポタン・ド・ヨコ』刊行。
 1891明治24年、『ポタン・ド・ヨコ』「横浜貿易商の生活」・「横浜での飲み歩き」。
   10月28日、岐阜県・愛知県で濃尾大地震発生。ビゴーは写真機を持参、スケッチと写真の両方で取材。銅版画「濃尾大地震」。
 1892明治25年、画集『大日本』刊行。
 1893明治26年、ウラジオストックへ行き、水彩スケッチ。夏、京都へ行き画を教える。
 1894明治27年7月、佐野マスと神楽坂「末吉」で挙式。
   8月1日、清国に宣戦布告(日清戦争)。ビゴーは、イギリス『ザ・グラフィック』特派員として従軍、朝鮮に出発。写真機を持参したが、雨天や激しい戦闘中では使えなかったから、画家のスケッチは報道として重要であった。
 4ヶ月取材し「東方の戦争」と題し同誌に発表。「鴨緑江渡河後、中国陣地を攻撃する日本軍歩兵」「旅順の砲撃のあとで」など。ビゴーが危険を冒して取材した報道画は貴重である。
 ところで、日本の新聞・雑誌は、連戦連勝の戦闘場面を従軍画家に描かせたが、ビゴーは「いざ出陣」(家族に別れを告げる日本軍兵士)、捕虜の姿など陰の部分を描いている。

 1895明治28年、35歳。画集『極東における老国イギリス』刊行。
 1896明治29年6月15日、三陸大津波、死者27,122人。『グラフィック』に「岩手県大股峠の救助隊」を描く。馬に乗る看護婦、洋服を着て社会活動に積極的な女性を描く。
 1897明治30年、画集『仮装舞踏会のクロッキー』「飲みすけのサービスによる」という副題がついた仮装舞踏会出席者33人のスケッチ集。
 そのほか、『横浜のフランス国際日』『グズグズ大尉の冒険』。
 『1897年の日本』の「稲毛海岸の子どもたち」を見て、昔子どもだったころ京成電車に乗って、稲毛海岸へ潮干狩りに行ったのを思い出す。

 1898明治31年、画集『極東にて』居留地の日本人、自動車に驚く日本人など描く。
 1899明治32年、条約改正により居留地の治外法権が撤廃される。
   思うように活躍できなくなり帰国を決め、それに先立ち横浜のフランス領事館でマスとの離婚手続きをすませ、6月14日、息子をつれて帰国の途につく。
   10月16日、兵役(看護兵として12月12日まで)。
   年末、マルグリット・デスプレと結婚。
 シリーズ画集『日本人生活のユーモア』(1~6集)「東京・神戸間の鉄道」・「芸者の一日」・「娼婦の一日」・「女中の一日」・「漁師の一日」
   6月、画集『一八九九年五月』刊行。ビゴーの日本に於ける最後の出版物。
 1904明治37年、44歳。二人目の娘が生まれたため、『フィガロ』紙から依頼された日露戦争特派員の仕事を断る。
 1927昭和2年10月10日、パリ郊外のビエーブルの自宅庭を散歩中、心臓発作で死去。享年、67。

   参考: 『ビゴー日本素描集』清水勲1986岩波文庫 / 『ビゴー「トバエ」全素描集 - 風刺画のなかの明治日本』清水勲2017岩波書店 / 『ビゴーが描いた明治の女たち』清水勲1997マール社 / 『ビゴー素描コレクション1 明治の風俗』『ビゴー素描コレクション2 明治の世相』『ビゴー素描コレクション3 明治の事件』1989岩波書店

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      展覧会案内。
2020.12.12記
  「GIGA・MANGA 江戸戯画から近代漫画へ」展
  令和2年1月24日まで、すみだ北斎美術館(東京都墨田区)で開催中。
 展示、ジョルジュ・ビゴー「TOBAE']33号など。
 トバエ33号の表紙、道化師に扮したビゴーの自画像が描かれている。

2021.2.19記
  「ジョルジュ・ビゴー展」~5月16日まで、宇都宮美術館
 ―――浅薄な欧化主義を批判するなど切れ味の鋭い風刺画を多数生み出す一方、日本の風景や人々の素朴な暮らしを描いた美しい作品も残した。休館は月曜。 

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