« 独自の世界を表現した浮世絵・版画家、小林淸親(江戸東京) | トップページ | 北海道鉱業開発の先駆者、ベンジャミン・S・ライマン »

2021年1月 2日 (土)

1912年、明治の終わり・大正の始まり

 2021令和3年元旦、コロナ禍去って良い年になるよう願うばかり。例年と違う年初め、身内と玄関先でのやりとりが精一杯で集まれない。子や孫の笑い声がしない正月は正直さびしい。
 賑やかだった実家の正月を思い出す。一升瓶をたちまち空にする大人たち、その傍らで子どもらは百人一首やトランプ遊び、飽きると羽根つきして遊んだ。今は昔、のどかな正月を懐かしむうち、大正生まれの母の大正琴まで思い出した。
 琴といっても簡易な楽器で大正時代にかなり流行したそう。それで大正の初めをみることにした。大正元年は明治45年、元号の終わりと始まりの1912年、今から109年前である。誰がいて、何があった。

   1912明治45年
 1.1、中華民国成立、南京を首都とする。
 1.26、大阪難波新地、大火。5000戸焼失。
 1.28、白瀬矗(のぶ)陸軍中尉の探検隊、26名の隊員とともに開南丸で南極を目指して隅田川を出発、日本人として初めて南極点到達。食料が乏しくなり、それ以上の進行を断念し、到達地点を「大和雪原」と命名して帰国する。

 2.18、愛知電気鉄道、営業開始。
 3.1、憲法学者・美濃部達吉「憲法講話」。これに対して憲法学者・上杉慎吉が反論。憲法論争おこる。
 3.30、沖縄県に衆議院議員選挙法施行の件公布。

 4.13、石川啄木死去。27歳。
   素朴でわかりやすく、若い人々に直接訴えていく啄木の作品を好む人は多いと思う。コロナ禍で暮らしが困難になって、「はたらけど はたらけど猶 わがくらし楽にならざり ぢつと手を見る」。

 5.11、信越線、横川-軽井沢間に電気機関車使用。
 5.15、第11回総選挙(政友会211、国民党95、中央倶楽部31 無所属56)。
 6.11、京都市営電気軌道、営業開始。
 7.6、第5回オリンピック大会(ストックホルム)、三島弥彦金栗四三が初参加。
 7.30、天皇陛下崩御 61歳。大正と改元
   主要新聞、9月17日まで全ページ黒枠で囲んで発行。

   1912大正元年
    しろがねの雪ふる山に人かよふ 細ほそとして路みゆるかな
                 (斎藤茂吉自選歌集『朝の蛍』1925改造社)
 8.1、*鈴木文治ら友愛会結成。
   鈴木文治:労働運動家。共済・修養機関的性格の強い友愛会を結成。同会は全国的労働者組織に発展、のち、日本労働総同盟と改称。
 8.5、御停止明け。
   その後も自粛ムードが続き、装飾屋・楽隊・日本囃子・蓄音機商など営業不振に。喪章の着用が流行。
   岩野泡鳴「発展」の発禁に抗議し、総理大臣らに「文芸の発売禁止に関する建白書」を提出。
 8.15、手動式塵芥吸収機「バキュームクリーナー」発売、一台60円。
 8.21、第29議会、第二次西園寺内閣・御大葬費議決の臨時議会招集。
   木更津線、蘇我-木更津全通。
 8.24、瀬戸内海の播磨灘で暴風雨、漁船多数沈没。
 8.27、越後鉄道、新潟-吉田間が開通。
 8.30、所沢飛行場で陸軍がドイツから輸入したバーセバル式飛行船20分間飛行。
  ―――「飛行船来たる」一たび伝えられるや満都の子女は、路上に奔出しその壮絶を眺め、あるいは屋根に上がり、望遠鏡を持ち出してその跡を追えるもあり(10.23東京朝日)。
 8.31、関東地方で暴風雨。
 ――― 厄日として気遣われたる二百十日の天候は、31日朝より険悪を示し・・・・・東京荏原郡鈴ヶ森八幡海岸付近は2丈余の高浪起こりて六郷川増水し、浅草公園のひょうたん池は溢水して六区付近に深水し(9.2東京朝日)

 9.1、東京浅草で大火。300戸焼失。
 9.9、名古屋・大須観音で初めて大正琴発売。
   ヨーロッパ演奏旅行から帰国した森田伍郎(琴や笛の演奏家)が創案した簡易な楽器。日本で流行していた二弦琴とヨーロッパで見たタイプライターの仕組みを合体させて考案した。発売当時は、町のおもちゃ屋の店先で売られた。現在は弦の数が2本から5~6本にふえ音域も広がっている。
 9.13、天皇大葬の日、乃木希典夫妻殉死。
 9.22、台風が日本全土を襲う。
   夜半に四国地方東部に上陸、関西地方から若狭湾をへて日本海を北上、北海道に再上陸してオホーツク海へ去った。死者は愛知・岐阜・徳島・鳥取・奈良・など13府県に及んだ。
 9.25、松竹女優養成所が開設され、東京・大阪・名古屋などから158人が応募し、20人が舞台女優第一期生となる。
 9.28、作家・永井荷風が結婚。

 10.1、台風の襲来で鹿児島・宮崎・大分・高知・徳島県を中心に風水害が発生。
 10.3、戦艦「三笠」、神戸港外で火災事故。
 10.4、汽車乗務員がコレラで死亡、南関東各地で蔓延、死者多数
 10.13、奈良原式飛行機・鳳号が千葉・稲毛海岸を飛行。
 10.15、*フユーザン会第1回展が、銀座・読売新聞社の三層楼で開催。
   フューザン会:後期印象派の高村光太郎岸田劉生らが文展系に対抗して組織。個性の尊重を唱えた。
   けやきのブログⅡ<2013.9.21明治・大正期の洋画家、萬鉄五郎>

 10.20、フランス映画「ジゴマ」に続き、和製映画ジゴマ多数制作。手口を真似た犯行、子どものジゴマごっこなど社会的悪影響のため、この日、警視庁が一切のジゴマ映画の上映を禁止。
  10.26、*上山草人らが結成した近代劇協会が、有楽座で第一回興行。イプセン作・千葉掬香訳、「ヘッダ・ガアブレル」。
   <けやきのブログⅡ 2016.2.13明治・大正・昭和の映画俳優、上山草人(宮城県)>

 10月28日、与謝野晶子が帰国。
  ―――神戸入港の平野丸で帰ってきた。ベルリン・ロンドンその他の都に詩聖の跡を訪ね、自らもその詩嚢を肥やした。鉄幹氏と別れ帰朝した女史は、パリ風の束髪に藍と鼠の荒い市松絞りのお召浴衣、大模様の縮緬の帯、同じ濃紫の紋付羽織という年に似合わぬ派手な姿(10.30名古屋)
―――新橋駅に着いた急行列車で吐き出した旅客の中に、両目に涙を湛へつつ「母ちゃん」と飛びつく男の子、「母ちゃん」とすがる女の子を抱きしめながらプラットホームを出たは・・・・・パリに良人鉄幹君を訪ねて旅した晶子女史である(10.30東京朝日)。

 11.3、京成電気軌道、押上-江戸川開業。
 11.12、東京湾において海軍大演習観艦式。
   11月14日より4日間、武州川越を中心に陸軍特別大演習。19日、大演習を契機としてこれまで功績のあった人々に追贈があった。その節、幕府の要職にあって米露の使節と折衝にあたった川路聖謨に従四位追贈。
 11.21、巡洋艦「比叡」進水式。

 12月、大相撲、大阪協会と東京協会との和解が成立。翌年、東西合併相撲を東京で開催
   各地で護憲大会。
 12.1、警視庁が初めて警察犬を採用。
 12.14、浅間山が噴火。午前9時30分、突然鳴動し山麓はもちろん遠く高崎、前橋地方の家屋まで動揺、戸障子も非常に震動を感じ、音響は間断なく継続して容易に止まず(12.15時事)
    *交詢社の有志が憲政擁護会を組織。
    交詢社:慶応出身の実業家を中心としたクラブで、ジャーナリストや政治家もいる。
 12.16、政友会大演説会(明治座)における憲政擁護閥族打破の演説―――「元老は須く政権を返上すべし」 (尾崎行雄)
 12・19、東京で憲政擁護第1回大会開催。
 12.23、夕張炭鉱でガス爆発。入坑中の坑夫200余名生死不明・・・・・惨状甚だし(12.24東京朝日)。
 12.24、第三十議会、第三次桂内閣が招集。
  ―――この内閣は護憲討閥運動のやり玉にあげられ、院外では憲政擁護演説大会、全国記者大会など開催され、院内では政友会、国民党から内閣不信任案が提出されて尾崎行雄が舌鋒鋭く桂首相に詰めより、まさに討論採決に入らんとせるとき三度目の停会でむくいられた(『政治の事典』)。

 この年、米価騰貴で下層民の生活困窮。
 この年の出版:「戯曲我」-一幕物(森鴎外)・「詩か芸術か」(若山牧水)・「世間しらず」(武者小路実篤)・「自由劇場」(小山内薫)・「千曲川のスケッチ」(島崎藤村)・「かろきねたみ」(岡本かの子)
 流行歌: 春の小川・村の鍛冶屋・広瀬中佐・奈良丸くずし
 流行語: 殉死・大正屋・フューザン会・友愛会・タクシー・蓄音機・諒闇不景気
 映 画: 忠臣蔵(牧野省三監督)

   参考資料:『大正NEWS年表』加藤廸男編2011日本地域社会研究所 / 『明治大正図誌17巻 図説年表』1979筑摩書房 / 『現代日本文学大系』1965明治書院 / 『(実録)幕末・明治・大正の八十年』2017東洋文化協会 / 『日本人名辞典』1993三省堂 / 『日本史年表』1990岩波書店 / 『近現代史用語辞典』安岡昭男編1992新人物往来社 / 『政治の事典』天野良和1955富士書苑 / 『議会制度百年史 資料編』衆議院・参議院編1990大蔵省印刷局

 

|

« 独自の世界を表現した浮世絵・版画家、小林淸親(江戸東京) | トップページ | 北海道鉱業開発の先駆者、ベンジャミン・S・ライマン »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 独自の世界を表現した浮世絵・版画家、小林淸親(江戸東京) | トップページ | 北海道鉱業開発の先駆者、ベンジャミン・S・ライマン »