岐阜県、伊吹山、『大菩薩峠』膽吹の巻
【レトロの美】上麻生えん堤、岐阜県白川町<谷底に威風堂々>(毎日新聞2021.4.11)
―――岐阜県を流れる飛騨川の景勝地として知られる飛水峡に、まるで西洋の城郭のような「上麻生えん堤」が存在・・・・・2018平成30年に土木学会選奨土木遺産に選ばれ、現在も建造当初の姿で再生可能エネルギーの水力発電に貢献している。
説明に加えて、「飛騨川の切り立った岩の上に建つ上麻生えん堤」「飛騨川の水位・水量を著説する上麻生えん堤のローリングゲート」の写真がかっこいい。
コロナ禍さなかもあり見に行けないが、これも何かの縁、白川町をみてみた。
―――飛騨川の上流、八百津町に隣接、町域の大部分は御岳山系の山地につづき、白川・黒川・赤川が流れ飛騨川にそそぎ・・・・・峡谷は飛水峡とよばれる魅惑的な渓谷である。この町は白川茶の名産地で、白川温泉は俗化しない閑寂な温泉郷として愛されている。
白川町を確認ついでに、日本の真ん中の岐阜県の地図を見る。県の形がユニーク、しかも7県(愛知・長野・富山・石川・福井・滋賀・三重)に隣接している。これほど多くの県と隣接する県が他にもあるのかな。
そんなこと思いながら地図を眺めると、訪れたことがなくても歴史、産物、景色や風情までも思い浮かぶ名所旧跡がいくつもある。
まず、岐阜といえば織田信長・斎藤道三。岐阜公園に「城あとや古井の清水まずとはん」芭蕉の句碑がある。美濃に足跡を残した芭蕉の「奥の細道」むすびの地は大垣である。また、美濃には志士で漢詩人、梁川星巌の漢詩結社、白鷗社があった。
関といえば刃物・刀剣、関ヶ原とくれば古戦場、不破は古代三関の一つで芭蕉の「秋風や藪も畠も不破の関」は有名。
美濃から郡上、下呂、さらに山襞(ひだ)の飛騨には合掌造りで有名な白川郷がある。知ったかぶりでいろいろ並べたが、実は何処へも行ってない。思えば、岐阜県は新幹線で通り過ぎてばかり。ただ、伊吹山は滋賀県側から眺めたことがある。
一昨年、友人と琵琶湖周遊、紅葉の旅を楽しんだ。その節、バスの窓から息吹山を目の当たりにし思わず「ああ、これが伊吹山」。何度も読み返した大長編『大菩薩峠』(角川文庫・全22巻)、どこを読んでも面白いが終盤近く、<膽吹(いぶき)の巻>もお気に入り。その舞台でもある伊吹山を目にしたら山容が思い描いていた通りでうれしく、思わず声が出た。
『大菩薩峠』、幾度となく映画やテレビになっていて知る人は多いだろうが、それらは本編のほんの一部でしかない。大正2年「都新聞」に連載がはじまり、甲州裏街道、大菩薩峠からはじまった物語は、巻を追うて生成、発展し、舞台はとほうもなく広がり、人間模様も複雑化していくのである。
主人公机龍之介はやがて盲目になってしまうが、それでも彼は血を求めてさ迷う。それを手助け、あるいは閉じ込めようとする女性が登場する。
<膽吹の巻>の主な登場人物。
盲目となった主人公机龍之介、二人のヒロインお銀様とお雪ちゃん、そこに毎度お馴染みの米友や道庵、弁信、おなじみの人物が現れる。
実際に息吹山に登ってみて、物語シーンとつきあわせたらおもしろそうだが、現在は観光化されて賑わっているらしいから、山道をゆっくり行き物語をたどれるかは分からない。
『大菩薩峠』第21巻「膽吹の巻」
――― 宇治山田の米友は、山形雄偉なる息吹山を後ろにして、頻りに木の根株を掘っています。その地点をみれば、正しく息吹山の南麓であって、その周囲を見れば荒野原・・・・・そのうちのある一部分に向かって鍬を打卸しつつ、米友がひとり空々漠々として木の根を掘りつつあるのです・・・・・
・・・・・不破の関の関守氏の紹介によって、お銀様が西美濃の地に、可なり広大な地所を購入し・・・・・お銀様独流の我が儘な、自由な、圧制者と非圧制者のない、搾取者と非搾取者のない、しかしながら、統制と自給とのある新しき王国を作ろうと・・・・・ここへ来てみると、これは見る通り息吹山の南麓より山腹にかけて・・・・彼女は・王国の礎を置くことになったらしい・・・・・
「さあ、お雪さんお山へのぼりませう」
「まあ、この夜中に・・・・・」
「夜中なればこそです、息吹夜登りと言って・・・・・なに怖いことがあるものですか、見た目では恐ろしい山のようにみえますけれども、日本国中、こんな美しい山はないとさえ言われているではありませんか」
「世間並みの萩や、すすきや、桔梗、女郎花(おみなえし)の秋草が一杯咲いているうえに、この山でなければ見られない花という花が沢山咲いています、息吹の百草と言いますけれども、百草どころではありません、五百草も、千草も、三千草も、花という花はみんなこの山にあるのです・・・・・ここのは本当に花野原・・・・・花という花がみんな、人間味を以て咲きそろっているのですから、同じ美しさにも温かみがありますのよ」・・・・・
「頂上へ行くと、とてもながめがまた日本一です、北小野法の高山という高山が、皆んな眼の中に落ちて来ると共に、南の平野も、西の京洛も、それにあの通り日本一の大琵琶の湖が、眼の下に控えている・・・・・文永の昔、息吹の彌三郎という山賊がこの山の頂上に腰掛けて琵琶湖の水で足を洗いました、その時に湖水を取り広げようとして土を運びましたが、その土の畚(もっこ)の中からの落ちこぼれが、あの竹生島や、沖の島・・・・・東の麓には俗に泉水といわれるところがあって、そこには千人の人を容れられる洞穴が・・・・・
息吹山
岐阜県揖斐郡揖斐川町(旧春日村)と滋賀県米原市(坂田郡伊吹町)との境、伊吹山地の主峰。1,377m。山麓は針葉樹・広葉樹林地帯。山頂に測候所。南西斜面はスキー場。琵琶湖国定公園に属する。
3合目以上は草地で、花の種類は約1700におよぶ。織田信長がポルトガル人宣教師に命じて薬草園を開き、江戸時代以来「息吹もぐさ」で著名。
西側以外は美しい斜面が残り、動植物・先史遺跡とともに学術上の価値が高い。
百人一首「かくとだにえやは息吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを」(藤原実方)ほか多くの文学作品にあらわれる。
息吹県立自然公園
岐阜県西端、息吹山を中心とする山岳公園。古生層の石灰岩からなる息吹山は琵琶湖・北アルプス・濃尾平野の展望が雄大。3合目以上は草原帯、とくに薬草に特色。付近にはキャンプ・スキー場も多い。山麓に関ヶ原の古戦場。他に城跡・古墳が多い。
伊吹山地
岐阜・滋賀両県の境をなす山地。東・西側が断層崖、南側は関ヶ原の狭隘部をへて鈴鹿山脈に相対する。
花崗岩と古生層の砂岩・粘板岩などからなる。南端部の伊吹山付近は、上部に石灰岩が押しかぶさる。北西へは金糞岳・横山岳と連なり、福井県境に至る。
息吹町
滋賀県坂田郡。息吹山南・西斜面と姉川の谷を占める農山村地域の町。
息吹山伝説・日本武尊(やまとたけるのみこと)
―――伊吹山は美濃と近江の国境にあるさほど高い山ではない。しかし、気流の関係か、山頂には、濃霧のたちこめることが多く、何となく陰惨な感じを与える山であった。 悪い神の息吹がいつでも漂っているのか。本当にそういった暗い、神秘な影の濃い山なのである(『日本武尊』)。
―――日本武尊は東征の帰途、伊吹山に荒神ありと聞きて征伐に赴かれたるに、山神大蛇と化して路上に横たわる、武尊これを見て「是れ恐らく妖神の使臣であろう」と歯牙にもかけず、大股に跨いで過ぎ給うた、荒神たちまち雲を起こし氷を降らし、濃霧峰を覆い谷に噎びて咫尺を弁ずべからず、辛うじて之を突破して下山せられたが、毒気に中って昏睡状態となり、山下の醒ヶ井の水を飲んで漸く醒めたが、それより伊勢に出でて病を得、遂に能褒野に置いて卒然逝去せられた・・・・・記紀に載するところの伝説によって名高い山で、山頂に尊の石像が建っている。
然しその石像たるや、すこぶる非美術的な、むしろ滑稽味をすら感ずる抵のものである(『療養遊覧 山へ海へ温泉へ』)。
―――息吹艾(もぐさ)は世人の夙に知る処、風露草もまた一般に重んぜらる。時今少し遅かりしならば、全山の薬草、花開きて、空中に一大百花園を現ぜしものを。
幸いにこの不足を補いて余りあるもの、頂上に於ける夜明けの景たり(岩野泡鳴)。
参考: 『中里介山』新潮日本文学アルバム1994 / 『郷土史事典 岐阜県』1982昌平社 / 『岐阜県の歴史』1979光文書院 /『日本地名辞典』1996三省堂 / 『日本武尊』鈴木啓介1944至文堂 / 『療養遊覧 山へ海へ温泉へ』松川二郎1923日本書院 / 『岩野泡鳴全集』(息吹山上の記憶)1921国民図書 / 『岐阜県の歴史散歩』2006山川出版社 / 『岐阜県の歴史』2000山川出版社
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<厩舎全焼「相棒」を失った>岐阜大馬術部
―――創部70年以上の歴史をもち、1980(昭和55)年代前半に現キャンパスに移転後、敷地内の一角にある厩舎や馬場で活動してきた。学内で馬を飼養する恵まれた環境で、獣医学などを学べる生物系学部もあり・・・・・火災後・・・・・3頭を譲り受け、再建へ支援励みに(大学スポーツ365日・毎日新聞2021.4.18)。
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