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2021年4月10日 (土)

うらのはたけでポチがなく、唱歌集・田村虎蔵

 日曜日、社会人一年生の男孫が、初心者マークをつけた車でひょっこり。
 運転慣らしに来たようだが、学生時代より締まった顔つきに一安心。コロナ禍で就活も大変だったろう、無事に滑り出せてよかった。
 お祝いの食事に行きたいが、玄関先でマスク顔を見合わせ我慢。何はともあれ、明るい気分で過ごせそう。
 孫は音痴の私に似ず母親似、音感がいい。ピアノを弾くが孫に限らず楽器が弾ける人はうらやましい。今は誰もが自分流に音楽を愉しむ時代になったが、明治の昔はそうはいかない。
 その明治期、音楽教育で指導的立場にあった作曲家、田村虎蔵をみてみる。
 ちなみに、田村は鳥取県出身。同県人に岡野貞一という作曲家がいる。岡野は高野辰之とコンビで「春が来た」「紅葉」、また文部省唱歌「桃太郎」などを作曲している。その岡野と高野の物語りが、『唱歌誕生 ふるさとを創った男』である。
      
     田村 虎蔵

 1873明治6年、因幡国蒲生村蒲生村( 鳥取県岩美郡岩美町)生まれ。
  ?年、 鳥取師範学校卒業。一時、小学校教諭、東京音楽学校本科入学
    在学中。放課後、国語研究のために当時、本郷にあった大八洲学校に通学。さらに外国の歌曲研究のため夜間、神田の国民英学会に通学。また、新唱歌の作曲以外に、短歌や長唄などの歌詞を作ったりもした。
 1888明治21年、帝国議会でも「言文一致会」が組織され、田村らは「言文一致唱歌」運動を実践、口語体の読みやすい歌詞による唱歌集を発行するようになる。

 1895明治28年、東京音楽学校本科専修部を卒業。
 1896明治29年、兵庫県尋常師範学校助教諭、着任。
 1899明治32年、高等附属小学校附属小学校訓導 兼 東京音楽学校助教授。
   従来の唱歌教材は唱いにくいという教育現場での実感から、納所(のうしょ)弁次郎と協力して、文部省唱歌よりも、子どもに理解しやすい口語体を用いた音楽表現、わらべ歌や日本の伝承音楽に近い、いわゆる*ヨナ抜き旋法を使った童謡の作曲につとめた。
    ヨナ抜き:四七抜き音階(ド・レ・ミ・ソ・ラ)。

 『幼年唱歌』、次いで『尋常小学唱歌』を編集(のちの文部省編集、国定教科書の『尋常小学唱歌』とは別もの)。題材を、子ども好みのものに選定したこともあって大いに人気を博した。[はなさかじじ] [一寸法師] [大こくさま]など、その後の唱歌の流れを決定づけた。
  ――― 一般の文章は言文一致ではなかったから口語体の「うらしまたろう」を公にすると非難され、辞表を出す騒ぎになったが、東京高等師範学校長・嘉納治五郎が田村を理解し扶けた(『師範出身の異彩ある人物』)。

 1897明治30年代、「国語」の成立と共に唱歌の変貌が顕在化する。教科統合の思潮と共に徳育が重視され、「鉄道唱歌」「文典唱歌」などの羅列的な唱歌が機能する。
  ―――田村虎蔵は代表的な唱歌作曲家であるが、その多くはピョンコ節、ヨナヌキ調のものである。ここに七五調が合わさり唱歌が完成するのだが、内容の「親しみやすさ」という新たな要素が加わることにより装置の機能はいっそう強力となる・・・・・題材が「国語」と関係するならば、その効果は絶大・・・・・歌詞を暗記することにより、題材も暗記できるという二重の利点をもつ『幼年唱歌』は、口語をふんだんに取り入れたという点で、画期的な唱歌教科書であった(『唱歌と国語』)。

 1899明治32年7月、兵庫県師範学校から東京高等師範学校 兼 東京音楽学校に転任。
 1900明治33年、田村は納所弁次郎と組んで『教科適用 幼年唱歌』刊行。
   「国語」が小学校教科として成立。なお、唱歌も高学年になると文語文になっていく。[牛若丸][浦島太郎][金太郎]などの作曲によって、昭和初期へかけ童謡流行の先駆的役割を果たした。
  [うらしまたろう] [おおさむこさむ]『幼年唱歌(初ノ中)』作詞・石原和三郎、作曲・田村虎蔵

 1901明治34年、『近世 楽典教科書』田中正平・校閲、田村虎蔵・編纂。
   『公徳唱歌』渋谷愛・作歌、田村虎蔵・納所弁次郎・作曲。作成の主旨を指導する教師宛の文面までやさしい口語に徹した。
  [はなさかじじい] [おおえやま] [牛若丸]石原和三郎・作詞、作曲・田村虎蔵
 [牛若丸]は少年たちに人気があった源義経の、幼時から平家追討までの華やかな生涯を『義経記』により叙している。こうした「お伽噺唱歌」は桃太郎と同じく人気を博した。
  [世界一週唱歌] 池辺義象・作歌、田村虎蔵・作曲(東京市牛込区白銀町35番地)。

 1902明治35年、[二宮尊徳]『幼年唱歌(四ノ下)』桑田春風・作詞、田村虎蔵・作曲。
   小学校の校庭にあった石像・二宮尊徳が題材。真面目で堅い歌詞、曲は三拍子になっているが、音階は幼年唱歌調。
 1903明治36年、[虫の楽隊]『少年唱歌(初)』桑田春風・作詞、田村虎蔵・作曲。
   『少年唱歌』納所弁次郎・田村虎蔵の共編。半数ぐらいが外国曲で上級になるにつれ増えてゆき、残りは納所か田村の曲。
 日清・日露戦争のころから国家主義・軍国主義の波に流される中で、時代に即応した唱歌・音楽教科書が求められ、その指導力が重視されるようになる。

 1905明治38年、[白虎隊]『国定小学読本唱歌(高等科二)』作詞未詳、田村虎蔵・作曲
   [一寸法師]『尋常小学唱歌(一ノ中)』巌谷小波・作詞、田村虎蔵・作曲。
   『尋常小学唱歌』、佐々木吉三郎・納所弁次郎・田村虎蔵の共編。国定教科書協同販売所の刊行。第1~4学年まで(5年は高等科1年になる)。
  『尋常小学唱歌』[大こくさま]/[電車唱歌]石原・作詞、田村・作曲
   当時、山手線の電車は、新橋・上野間が切れていて東京駅はなかった。自動車・バスも通っていず、市電は文明の最先端を行く花形交通機関であった。「地理教育・鉄道唱歌」の好評にあやかったらしい。
 ちなみに、地理唱歌は明治期だけでも72曲も存在する。

 1906明治39年、[敦盛と忠度]『尋常小学唱歌(四ノ上)』大和田建樹・作詞、田村虎蔵・作曲。  「青葉の笛」の題でよく知られる平敦盛・平忠度(ただのり)という、一ノ谷の戦で命を落とした平家の公達を哀悼した曲。
   虎蔵の曲は、しっとりして歌の内容にぴったり。彼の作品の中では最も多くの人に愛された。
   [妙義山]『高等小学唱歌(一ノ上)』大和田建樹・作詞、田村虎蔵・作曲
 上州の名山、妙義山(みょうぎさん)が、天下に知られるのに役だった。七音階の曲。
  『高等小学唱歌』:大橋銅蔵・納所弁次郎・田村虎蔵の共編。
   外国曲が半数を占め、作詞は大和田建樹・桑田春風・佐々木信綱・芦田恵之助・大橋銅蔵などであるが、納所・田村時代が去りゆく感が否めない(『日本の唱歌』明治編)。
   [名誉之日本]大和田建樹・作歌、田村虎蔵・作曲。

 1908明治41年、全国工業学校長会選定[工業唱歌]大和田建樹・作詞、田村虎蔵・作曲 。
   内容は 1技術の力、2真の技術者、3工業の花、4文化の恩人の4曲からなる。   
 1908明治42年、『堺市水道唱歌大和田建樹・作詞、田村虎蔵・作曲。
   堺市の風物の紹介をしながら、水道建設の意義を説く唱歌。歌詞の最後に「付録」として堺上水道給水料、さらに「堺市上水道敷設費決算表」、「明治43年6月15日文部省検定済」まで掲載。「ニュース唱歌」すなわち「際物唱歌」の一種といえる。
   際物唱歌:曲の力で歌詞を暗記させる具体的には修身唱歌、軍歌、鉄道唱歌など。

 1909明治43年、田村虎蔵編『教科統合 女学唱歌』。
  『尋常小学読本唱歌』官製、文部省編集の最初のもの。「文部省唱歌」として作詞者や作曲者を伏せた形で示されるが、作詞者が判っているものが多い。
  『名古屋唱歌大和田建樹・作歌、田村虎蔵・作曲。
 1911明治44年、『国民教育 日本唱歌』芳賀矢一・作歌、田村虎蔵・末岡保作曲。
   ―――唱歌が純粋に音楽教育を目的にしたものではなく、他教科の補助科目という性格を強く示している。25番まである。

 1913大正2年、田村虎蔵著『尋常小学唱歌教授書』第1~6学年用。
   田村が十数年間、東京高等師範学校教授職にあって、付属小学校・中学校での唱歌授業も担当した経験が豊かに生かされた内容である。
 1914大正3年、志賀潔著『肺と結核』に、日本結核予防協会が懸賞選定の[結核征伐の歌](上田万年校閲・遠山椿吉作歌・田村虎蔵作曲)掲載。
   けやきのブログⅡ<2019.3.16赤痢菌を発見した細菌学者・志賀潔(宮城県)
  
 1915大正4年、[我が札幌]石森和男・作歌、田村虎蔵・作曲。
 1924大正13年~1936昭和11年、東京視学。
 1926大正15年4月、田村虎蔵編『検定唱歌集』尋常科用。
   10月、高等科用『検定唱歌集』。
 1932昭和7年、田村虎蔵編『最新オルガン教科書』。
 1934昭和9年、『最新昭和小学唱歌』[日本海海戦]芦田恵之助・作詞、田村虎蔵・作曲。
   日本の音楽教育の最前線を歩いていたが、同校勤務が長きにわたるうちに、晩年の大正以後、昭和のころは、保守・反動の徒の待遇を受けていた。
 1943昭和18年11月7日、東京にて死去。享年70。

   参考:『日本の唱歌()明治編』金田一春彦・安西愛子編1977講談社 /『唱歌誕生 ふるさとを創った男』猪瀬直樹2002小学館 / 『唱歌と国語 明治近代化の装置』山東功2008講談社 / 『童謡唱歌でたどる音楽教科書のあゆみ 明治・大正・昭和初期中期』松村直行2019和泉書院 / 『師範出身の異彩ある人物』横山健堂1933南光社 / 『明治時代史大辞典』2012吉川弘文館

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