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2021年5月15日 (土)

速記者が眺めた名士の演説ぶり、小野田翠雨

 以前、図書館で開催された「地場産業の古老による座談会」のテープ起こしを手伝った。録音を聞いて文字にするだけと気軽に引き受けたのが大間違い。聞き取りにくかったり、難しい言葉がでてきたり、もう大変。テープを巻き戻しては耳を澄まし、難しい言葉・専門用語は辞書を引いたり、人にも尋ねたりで何日もかかった。それでも、テープは何回でも巻き戻せるから何とか仕上げられた。
 これが演説や講演を会場でそっくり速記した後、普通文字で再現し文章にするとしたら容易ではない。しかし、保存再生の機器が未発達の時代でも、記録し文書を残さなければならない。
 速記者たちは「ことばの写真」をとり、普通文字にして文章に仕上げ世の中に送り出した。そのお陰で後世の私たちも国会、県会の議事録から産業組合などの会議録、さらに落語や講談を知り、今でも楽しむことができる。
 ところで今、せっかくの記録が表に出ず問題になっているが、コロナ禍で忘れられそう。

   ―――速記の利用分野は口述(矢野龍渓『経国美談』)、講演(外山正一「漢字廃すべき論」)、地方議会(埼玉県会)などに及んだが、とくに三遊亭円朝述「怪異牡丹灯籠」(明治17年)に始まる講談速記は広く世人にしたしまれ、また言文一致運動の推進力となった・・・・・目標は帝国議会の速記であったが、金子堅太郎(初代貴族院書記官長)の英断によって第一議会から実現し、日本憲政史の大きな誇りとなった(『世界大百科事典』1972平凡社)。

   けやきのブログⅡ<2016.1.23 日本速記法の創始者、田鎖綱紀(岩手県)>
 田鎖綱紀とつながりがあるか不明だが速記者・小野田翠雨(おのだすいう)に興味をもった。速記本を出し著述もあるのに生没年不詳なのが不思議、気になる。何か事情があるのだろうか。
 大学などの図書館で古い人名辞典や人事総覧などにあるかも知れないが、コロナ禍、電車に乗りたくないので、分かる範囲で記す。

    小野田 翠雨

   本名は亮正。明治から昭和時代の速記者。日本速記協会所属。
 1887明治20年頃、*若林一門に入り、速記を学んだらしい。
   参考:日本最初の速記者、若林玵蔵伝『ことばの写真をとれ』藤倉明1982さきたま出版会。
 1900明治33~34年、千葉県会で速記を担当。
   明治30年代、秋田県会の速記も担当。

 1912明治45年、*やまと新聞社の電話速記記者。
   電話速記:若林玵蔵伝『ことばの写真をとれ』に詳しい記述がある。
   やまと新聞:条野伝平らによる「警察新報」を明治19年10月から改題して発行。社説欄の代わりに「雑説」欄を設けて軽く時事を論じた小新聞型であった。しかし、三遊亭円朝の落語、条野伝平の人情小説、南新二の劇評は、庶民の好尚にかない、発行部数は東京の諸新聞を圧倒し、「郵便報知新聞」につぐものであった。

 1917大正6年、『家庭落語集』尚文館。
   序文。巌谷小波―――速記界の元勲と称し、落語速記に通じた人物として紹介。 
 1920大正9年、日本赤十字社勤務。
 1940昭和15年、『近世偉人秘話』文友堂書店。
        *** *** ***

   <小野田翠雨編著>国会図書館デジタルコレクション
 1897明治30年、『髙木折右衞門廻国日記』放牛舎桃湖 講演[他](両輪堂)。
 1899明治32年、『梁川庄八義勇伝』放牛舎桃湖 講演[他](朗月堂)。

 1908明治41年、速記者の見たる『現代名士の演説振』小野田亮正 著(博文館)。
    ――― 1908明治41年、速記者の見たる『現代名士の演説振』小野田亮正 著(博文館)。
   ―――社会的接触面の広い翠雨は、速記術の熟練にに加えて、人間の観察がするどく、文才も豊かで後世のために得難い伝記資料を残しておいてくれたことを多としたい。文学者北村透谷が神奈川県議会の速記者を勤めていたというから、小野田翠雨も政治好きの文学青年だったのではあるまいか(神崎清――『現代名士の演説振』解題)。

 1909明治42年、『柳亭左楽滑稽落語集』小野田翠雨 編(大学館)。
 1910明治43年、「産業組合講習筆記」帆足準三 述[他] (産業組合中央会千葉支会)。
 1910明治43年、『三遊亭円遊滑稽落語集』帆足準三 述[他] (産業組合中央会千葉支会)。
 1910明治43年、『ポケット新落語大会』翠雨小史 編(国華堂)。

  『現代名士の演説振』は『明治文学全集96』(明治記録文学集)に収められている。本編64人は肖像写真を見たことがあるような有名人ばかりでそれぞれのイメージに、演説のそぶりを重ねて読むと面白そう。内容を一部紹介。

   <速記者の見たる―『現代名士の演説振』
     
  ―――速記は演説の好伴侶なり、演者の声音は空間に消え去るも、速記の力によりて痕跡を紙上に留む、演者その声音、意義が聴者の耳に達して、如何の応効あるを験する能わざるも、その述を紙上に留むるの文字によりて・・・・・速記によりて言論の巧拙、飾り無く紙上に印せらるること、恰も写真術の面貌を印して、永く其の研醜を留むるが如し・・・・・(中略)・・・・・
 小野田翠雨君は速記会の勇なり、速記の場数を経て、練達の技能を有す、耳聡くして腕敏し、各種の演説を速記して其人の能力を実験し(事実によって証拠立てる)、その弁舌、態度などを品評・・・・・演者これによりて、自己の短所を発見すべく、読者も又演説の修練に参考すべし・・・・・(島田沼南)

     はしがき
  ―――余嘗て揣(はか)らず、『名士の演説振』を草して、漫りに名家の演説振を評し、軽からざる罪を得たり。而もこれ余が二十年来の速記生活より得たる経験と、同業諸氏より与えられたる材料とに依り、公平に、率直な忌憚なく記述したるもののみ。僭越不遜の罪は、偏に宥恕せられんことを請ふ・・・・・
 一、本書は読売新聞紙上に連載・・・・・今回同社の承諾を得、さらに増補訂正して刊行・・・・・
 二、 三、(略)
 四、本書の起稿に当たりて、先輩速記者若林玵蔵、林茂淳、佃與次郎、荒浪市平、長谷川篤、山本新太郎及び森本大八郎の諸氏その他辱知諸氏より種々材料を供給せられ、また画家池上蓮斎氏は本書の為にその敏腕を振るわれ・・・・・著者誌す。

     登場人物
 1.島田三郎氏   6.伊藤博文 公(爵)   7.西園寺公望 侯(爵)  8.尾崎行雄氏  11.山本権兵衛 男(爵)  13.三宅雄二郎氏  15.谷干城 子(爵)  19.鳩山春子女史  19.下田歌子女子  20.田中正造氏  21.渋澤栄一 男(爵)  27.竹越三叉氏  30.下田歌子女史  31.釋宗演禅師  32.芳賀矢一氏  34.巌谷小波氏  35.三輪田真佐子女史  37.海老名弾正氏  38.嘉納治五郎氏  41.高田早苗氏  42.北里柴三郎氏  46.重野安繹氏  47.徳富蘇峰氏  52.木下尚江氏  54.幸徳秋水氏  55.安部磯雄氏  59.山路愛山氏  63.大町桂月氏  64.*新渡戸稲造氏
 けやきのブログⅡ<2015.4.11札幌遠友夜学校(新渡戸稲造と有島武郎(北海道)>

   参考:『明治記録文学集』著者代表・横山源之助1983筑摩書房(解題・神崎清) / 『明治時代史大辞典』2012吉川弘文館 / 『明治時代の新聞と雑誌』西田長寿1961至文堂

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