伊勢原市のいろいろ
9月1日防災の日。孫が小学生の時、働くママに代わり学校へ孫を引き取りに行った。その孫も今は大学生、友人その他と交流が広がる時なのにリモート授業、対話も限られなんとも気の毒。そして、どこの避難訓練もコロナ禍でままならない。考えれば考えるほど気が滅入る。
さて、下手な考え休むに似たり、まあお茶で飲もうと立ち上がったら、ピーンポーン♪「お届け物です」。添え状に、
―――勤め先が地元興しで企画・制作した「柿の種」・・・・・神奈川県伊勢原市の限定品。自動車会社らしく車のドリンクホルダーに収まる形で製品化しており、地元大山の形と23種の車の形をした柿の種です。味もなかなかの物だと感じましたのでご賞味くださいませ・・・・・。
ご馳走になる前、「柿の種」が入った缶状の容器を並べて神奈川県の地図を広げた。伊勢原市はほぼ県の中央、丹沢や大山があり、どちらも行ったことがある。
丹沢で沢登りをして膝が笑い、泣きたかったが、仲間が笑うので我慢した記憶がある。別の日、大山で豆腐料理を食べたら美味しかった。二度も行ってるのに、そこが伊勢原市という意識がなかった。
思えば、神奈川県は東京湾と相模湾に面し、川崎・横浜・横須賀・逗子・鎌倉・茅ヶ崎・平塚・小田原など知ってる「市」が多い。東京の手前には川崎・相模原市がある。県中央部の伊勢原市は、平塚市・秦野市・厚木市に囲まれ、その三市の方が名が通っている。
また、神奈川県はペリーの黒船来航以来さまざまな歴史的事件が起き、近代日本の誕生地ともいえる。ところが、伊勢原市は地理的な関係もあってか劇的な事件はあまり見られない。
こうしてみると、伊勢原市は目立ちにくいかもしれない。でも、どこにも歴史はある。伊勢原市を見てみよう。
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1486文明18年、江戸・川越の両城の築城主として知られる室町後期の武将・太田道灌が讒訴(ざんそ)により糟屋の館で暗殺される。伊勢原市内や伊豆、都内にも太田道灌の墓がある。
1620元和6年、「伊勢」の地名は、伊勢神宮が由来。
―――伊勢出身の山田曾右衛門と鎌倉の湯浅清左衛門が大山参詣の途中、千手ヶ原という松原に一夜の宿を求めたところ、水音を耳にしてここが開墾可能な地であるとわかり、開墾に着手。現在の伊勢原市街の基礎ができ・・・・・曾右衛門は故郷の伊勢神宮から神様を勧請し祭る。これが伊勢原大神宮の起源で、当地は「伊勢原」と称されるように(『神奈川県民も知らない地名の謎』)。
1631天保2年、大山参りの全盛期は宝暦年間(1751~1764)といわれるが、百年以上たった天保の夏も10万人に及ぶ盛況であった。
相模国にそびえる大山は「雨降り山」(あふりやま)ともいわれ、大山寺と阿夫利神社があり、相模国真言密教の中心として、また庶民信仰の霊場として栄えた。
大山阿夫利神社:崇神天皇(97年頃)創建という古社。大山は標高1252m、遠い海上からも見えるので、海人たちの守り神として祀られた。不浄を理由として原則として女人登山が禁止されていたことも男性が大山詣参加する理由の一つだったらしい。
1873明治6年、大山不動を分離して県社とする。
1906明治39年、日本山岳会設立。
初代会長・小島烏水は宇和島(愛媛)藩士の子で、横浜正金銀行に勤務近代日本人登山者としては初の槍ヶ岳をきわめる。それ以前は山仲間と近郊の山、丹沢にも親しんだ。
1933昭和8年、八幡台(はちまんたい)石器時代住居跡、発見。
市街地南方の台地、東大竹宮ノ前に縄文時代の敷石住居群を発見。発掘調査して保存したが、太平洋戦争中、食糧確保のため遺跡を覆土、農耕地にした。現在は国指定史跡。
1954昭和29年、伊勢原町・大山町・高部屋村・比々田村・成瀬村・大田村が合体して伊勢原町になる。
伊勢原:市場町から発達した商業集落で、東海道筋の大磯とならび称される商業中心地であった。伊勢原内陸の工業団地。
大山町:大山川沿いの狭い渓谷中には、古くから修験のメッカとして門前町が発達。
1956昭和31年、岡崎村大字大句馬渡を伊勢原町に編入。
1960昭和35年、大山神奈川県立自然公園。
丹沢山地の西部と東部山麓をふくむ山岳公園。のち、公園の中心部が国定公園に指定、周辺部の西と東が県立自然公園として残った。
丹沢:「丹沢」の呼び名、かつては徳川幕府が天領として支配した一帯を指していたらしい。どの山頂に立っても眺望は雄大で、富士の姿がすばらしい。山麓には温泉がある。
1965昭和40年3月、丹沢・大山国定公園。
丹沢山地の大部分を占める伊勢原・厚木・秦野の三市、津久井・愛甲・足柄上の三郡。
―――神奈川県では平野部8カ所で毎年酸性雨の観測が行われ・・・・・丹沢大山では丹沢のブナ林調査、酸性雨、酸性霧の調査・・・・・檜洞丸山頂付近のブナ林が南東斜面を中心に枯死しており、北側斜面では枯死が少ないことが調査で明らかに・・・・・酸性雨を引き起こす大気汚染物資の丹沢への移動は、交通量が多く、工場が多い京浜工業地帯から到達する場合や、夜間に陸風で相模湾上まで移動した大気汚染物質が海風で丹沢に・・・・・いずれにしても、工場や自動車からの大気汚染物質の放出を減少させることが重要である(『神奈川県の不思議事典』)。
1971昭和46年3月1日、伊勢原市となる。
<伊勢原うまいものセレクト>
日本遺産のまち伊勢原で生まれた選りすぐりの特産・みやげ・伝統工芸をPRし、まちの活性化を目指すための認定ブランド。
伊勢原市公式イメージキャラクター:クルリン。
日本遺産:文化庁が認定。地域の歴史的魅力、特色を通じ日本の文化・伝統を語るストーリー。
各地の魅力ある有形・無形の文化財群を地域が主体となって整備活用、国内外へ発信し地域活性化を図ることを目的とした日本の文化遺産保護制度の一つ。
参考:『郷土資料事典 神奈川県』1997人文社 / 『日本地名辞典』1996三省堂 / 『神奈川県の歴史』1996山川出版社 / 『神奈川県の百年』1984山川出版社 / 『神奈川県』1982昌平社 / 『神奈川県の不思議事典』2001新人物往来社 / 『明治・大正・昭和の神奈川県』1982昌平社 / 『神奈川 県民も知らない地名の謎』2013PHP文庫
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コメント
先日はお葉書とお電話をいただきましてありがとうございます。
また、この度の記事に取り上げていただき大変光栄です。
知らないことばかりで、大山参りに10万人!
最近四国88カ所参りの動画にはまっていました。お遍路さんの為に立てられた古来から残された道標には江戸期の物も多く残っているので、江戸期の方々の熱量を感じます。
参考文献をあげてくださり、また短期間ですごい情報量からまとめ上げていらして・・・。
日産はルノーとの資本提携で日本国内より欧米での販売台数が多くなりました。例のゴーン氏の采配で。
ルノーのおかげで強すぎた労組を押さえられたようですが、行きすぎた効率化はグローバリズムの弊害でしょう。
創業者 鮎川義介の言葉「至誠天日を貫く」
(誠実を尽くして取り組めば太陽をも貫く=必ず道は開ける)
もういちど国内向けに素晴らしい車をと、願う日々です。
どうぞ御身大切になさってください。
ブログの更新を楽しみにしております。
投稿: 松井 由美子 | 2021年9月 5日 (日) 01時41分