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2021年11月20日 (土)

素晴らしい沿線風景、スロートラベル飯田線

 2021.11.19金曜日、月食が見られて何だかうれしい。
 夜空の月や星は輝いているが、地球温暖化が進んでいるせいか天候の変化が激しい。自然災害も少なくない。地震も怖いが豪雨も防ぎようがなくほんとうに困る。先日のニュース。
 [豪雨災害で被害集中、「戦前生まれ」鉄道橋を守れ、JRが緊急点検]
  ―――豪雨災害の影響で、戦前から河川に架かる鉄道橋が相次いで不通となっている。国土交通省によると、過去20年間に橋脚が傾いたり、橋桁が流失したりしたJR各社の鉄道橋の約9割は「戦前生まれ」だった・・・・・このうち今年8月の大雨では、いずれも長野県で、辰野町を通るJR飯田線の鉄道橋と松本市を通るアルピコ交通上高地線の鉄道橋が、橋脚が傾くなどした・・・・・(2021.10.31毎日新聞)

 記事を読み、近年、古くなった水道管や高速劣化が指摘されることが増えたなあと気になる。それに関し何かと思ったが、問題が大きすぎ、しかも差し迫った深刻な問題だが、自分には手に余る。
 さて、さてどうしょう・・・・・迷っていると、飯田線や夫の故郷伊那谷が思い浮かんだ。
 夫は高校3年間、飯田線で通学。勉強よりも野球のために朝は始発、夜は最終列車で帰宅していた。
 入学当時の飯田長姫高校野球部は選抜優勝から数年たっていたが、練習はかなり厳しかったという。折に触れ、
「ケツバットを喰らい、水を飲ませてもらえず」だったとか思い出話をするが、どこか愉しそう。辛く厳しい練習の日々も歳月を経れば甘い青春の思い出に変わるよう。

 結婚前、夫の実家を訪れるのに初めて飯田線に乗った。新宿から中央本線で出発、竜野で飯田線に乗り換え、伊那大島でおりた。
 伊那大島駅のある松川町は、伊那谷有数の果樹園地帯。駅を出て少し行くと、リンゴ花咲く果樹園が広がっていた。
 目を上げると山並みが見える。聞けば南アルプス、伊那大島は南アルプスの登山口だという。
 果樹園に近よると林檎の花がきれい。島崎藤村の詩を口ずさみたかったが、うろ覚えで残念。それにしても絵のような田園風景・・・・・眺め渡しているうちに緊張が和らいだみたい。佳境に住む人は皆やさしいかも知れない。都合のいい解釈をしたせいか、初対面の夫の家族と和やかに話ができた。
 そして、「リンゴの花に騙されて結婚」ウン十年、訪れるのも間遠になった。飯田線に乗ることも、乗用車で行くこともなくなったが、冠婚葬祭があると、高速バスを利用する。
 中央自動車道ができて時間がかなり短縮、飯田線の乗客がめっきり減ったらしい。

 若い時、バイクに二人乗りして果樹園を通り抜け、天竜川を見に行ったことがある。
 河原でとりとめの無い話をしたが、妙に覚えているのが電車に乗り遅れそうになると、隣駅・山吹まで走ったという話。
 それを聞いたとき、夫は足が速かったみたいだけど、汽車には敵わないでしょう。何言ってるのと思った。
 それが今になって謎が解けた。

  ―――<河岸段丘――崖をよじ登る鉄道、登らない鉄道[飯田線・伊那大島~高遠原など]> 飯田線はカーブが非常に多い・・・・・七転八倒するかのごとき線形を描いている。これは河岸段丘があるための苦心のルート選びの結果だ・・・・・(『線路を楽しむ鉄道学』)。
  ―――JR飯田線はひときわ駅の多さが目立つが、小さな集落にもこまめに駅を設置して沿線サービスに努める姿は、さすが私鉄の電気鉄道出身である。山の中を走る区間が多いのに駅間の平均距離は約2kmと短く、他の在来線の約半分の計算だ・・・・・(『地形図でたどる鉄道史』)。

 この説明で、なるほど納得。陸をまっすぐ走れば、汽車より早く着くのだ。地域の人は、ちゃんと地形と線路を把握していた。
 引用の『線路を楽しむ鉄道学』『地形図でたどる鉄道史』著者は今尾恵介先生で、講座を受講したことがある。
 数字・地図音痴の筆者なのに引き込まれた。苦手な分野はすぐ眠くなるのに不思議。それは、おそらく山のような知識を順序立て、しかも愉しそうに教えてくれるからだと勝手に思い込んでいる。

 ところで、飯田線に乗ったといっても辰野から飯田迄、その先の天竜峡へは車で行ったが、その先から豊橋へ向かう沿線の風景は一段と素晴らしいという。なお、辰野から飯田より、そこから先の豊橋までの方が距離がある。
 『そう 別冊探訪三遠南信1』各頁の最下行にある全駅の路線図をみると、筆者は飯田線の三分の一位しか乗ってないようだ。
 『そう』誌の写真や地図を眺め説明を読むと、訪れた駅や地域は懐かしく、未だの所は「ちょっとおいでよ、スロートラベル飯田線・JR東海」に誘われる。

 さて、半端な思い出話をあれこれしたら纏まりがつかなくなってしまった。飯田線全体について参考書籍が精しいが、丸写しも何なので、地名辞典から簡略に紹介。

   飯田線:豊橋(東海道本線)~辰野(中央本線)。195.8km。
   1897明治30年~1937昭和12年。当初は豊川鉄道(豊橋~長篠)、鳳来寺鉄道(長篠~三河川合)、三信鉄道(三河川合~天竜峡)、伊那電気鉄道(天竜峡~辰野)の4私鉄路線が1943昭和18年統合されて国有化、飯田線と改称。
 豊川・天竜川沿岸に通じ、東海道本線と中央本線を結ぶ。全線電化(直流)。

   参考:『線路を楽しむ鉄道学』今尾恵介1995講談社現代新書 / 『そう別冊・探訪三遠南信1』2007春夏秋冬叢書 / 『地形図でたどる鉄道史』今尾恵介2000JTB / 『日本地名辞典』1996三省堂。

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