イチョウの黄葉は絵になる、緑けぶるイチョウ並木もね
ママチャリで用水縁を行くと、水面につきそうなくらい長く伸びた桜の枝に蕾がいっぱい。コロナ禍でも春は来、花見ができる。でも、呑めや唄えは無理そう。下戸の筆者はいいが、宴会好きはさびしいかも。
その桜、1本でも絵になるが桜並木だと更に映える。桜に限らずどんな種類でも並木・街路樹は目にも心にもいい感じ。
神宮外苑のイチョウ並木は散り敷く黄葉が大人気、大人も子ども落ち葉を踏み踏み行ったり来たり秋を楽しむ。絵になる黄葉だが、緑けぶるイチョウ並木、芽が萌えだした春のイチョウも捨てがたい。
東大赤門から安田講堂までのイチョウ並木、もうすぐ若竹色の緑のイチョウが見られる筈。でも今はコロナ禍、キャンパスに入るのは難しそう。
今も開催されているか分からないが、だいぶ前、東大の一般向け公開講座を受講、「緑けぶるイチョウ並木」に出会った。こんなにもやわらかな緑があったのか、芽吹きの季節になるとよく思い出す。なお、安田講堂の内部はきれいで、学園紛争の名残はなかった。
毎回テーマの異なる10回講座。もっと知りたく講師の著書を買った講義もあれば、さっぱり分からない講義もあった。自分の脳力不足、「解らなくてもいいや」。その一方で「一般向けでしょ。内向きじゃなく、おばさんにも解るように話して」と生意気な感想も。
たまたま台東区(東京都)「街路樹と本数」を見かけ、街路樹のあれこれを見ることにした。
<台東区行政資料2005平成17年度 区道街路樹>
【 スズカケノキ1506 シダレヤナギ376 ハナミズキ169 マロニエ154 トウカエデ146 トチノキ134 サクラ(イチョウ)131 アオギリ73 ソメイヨシノ69 ヒメシャラ54 ヤマモモ43 ホルトノキ33 ケヤキ23 キンモクセイ21 その他アスナロ・ジュウガツサムラなど計3037 】
台東区といえば、上野公園・谷中墓地の桜並木が有名だが、「区道街路樹」に公園の樹木は数に入っていないようだ。
次は、山口県宇部市の公園と街路樹と人。
<宇部市統計書> 2011平成23年3月31日
都市公園1ヶ所あたりの市民数 2020.6人
街路樹1本当たりの市民数 1.6人
<街路樹の始め>
―――古代の街路樹は、天平のころ(聖武天皇)すでに、畿内七道の駅路に、果樹苗木を栽ゑし文献あり。降りて江戸時代にも、大田道灌が、神田川の堤に柳を植ゑ、今なほ地名に残る・・・・・(『明治事物起原』)。
街路樹は、都市の防暑・空気清浄化・温度調節・防塵などの保健衛生、防火効果による保安などの機能をあわせもつ。街路樹の古くは、藤原・平城京のタチバナ、平安京のヤナギ・エンジュなど。近世になると、参道並木、街道並木、一里塚など地方並木が植えられた。
明治以降、外国産の樹木の移入、内国産の樹種の選択、植栽手入法の改良などで著しく進歩。
1867慶応3年、横浜開港場の馬車通りに、ヤナギとマツを植える。
日本における近代的街路樹の先駆。
1874明治7年、東京銀座通りのレンガの舗道に、サクラとクロマツを植える。
文明開化を誇示したが、風害・枯損が相次ぎ生育の見込みがないため、シダレヤナギとヤマモミジに替えられる。
1875明治8年、*津田仙、オーストリアの首府ウィーン博覧会の土産として、刺槐(ニセアカシア)と、神樹(シンジュ)の苗木を持ち帰り、大手町付近の濠端と、小石川江戸川橋の植栽。外国産の街路樹の始めである。
津田仙:佐倉藩士の子、幕臣・津田氏の養嗣子。津田梅子は次女。農業の近代化と人材育成のため、学農社農学校、耕教学舎(青山学院女子部)を創立、盲唖教育にも尽くした。
1879明治12~188013年、銀座の街路樹はほとんどヤナギとなる。
1881明治14年、麹町区五番町・イギリス公使館前の道路に、英国代理公使アーネスト・サトウより ソメイヨシノ植え付けについて、警視庁の了解を得る。本数などは不明だが大使館前および三宅坂赤坂見附間は市内桜名勝として有名になる。
1893明治26年ごろ、年々、幾分官費植え付けと地元の自費植え付け(主に繁華街の横通りに多い)が行われ、この年は、樹木植付培養費として637円770の支出(「東京市道路誌」)。
1899明治32年、道路植樹植え付けに関する規程が作られる。
一、道路並びに橋台広場に植え付ける樹木は、桜樹・柳樹・楓樹・桐(梧桐)・樫・栃の六種として・・・・・。
二、樹木は三間ないし五間毎に植え付け・・・・・。
四、有志者にして自費を以て一町内又は数町内へ植え付けを出願するものあるときは許可・・・・・但し、植え付けたる樹木の培養は出願者の負担とす・・・・・。
1907明治40年、*白沢保美(しらさわ やすみ)・*福羽逸人(ふくば はやと)の研究結果に基づいて、イチョウ・スズカケノキ(プラタナス)・ユリノキ・アオギリなど10種類を用い、東京に近代都市としてふさわいい街路樹が実現。
―――現在では大都市はそれぞれ郊外に広大な苗の栽培園を有し、膨大な数にのぼる街路樹の維持と増殖に努めており、用いられる樹種も全国で50種を数え、東京都では8万本の街路樹を管理している(昭和47年『世界大百科事典』)。
白沢保美:明治~昭和期の林学者。信濃(長野県)出身。農商務技師・林業試験場長。日本農学会会長。
福羽逸人:明治・大正期の園芸学者。岩見(島根県)津和野藩士の子。農商務技師、東京農林学校兼務。近代園芸への基礎を開いた。
1914大正3年8月23日、ドイツに宣戦布告、第一次世界大戦に参加。
1922大正11年、東京最初の公園道路である明治神宮表参道の植樹工事が完成。
東京の街路樹総数 24,600余本にふえた。
1923大正12年9月1日、関東大震災。
街路樹過半数の14,300余本が烏有に帰した。
1924大正13年3月、街路樹の復旧。新橋・京橋間にイチョウを植え継ぐ。
1927昭和2年~1931昭和6年3月、復興事業。
復興局公園課にて植栽を実施、4年の歳月を経て完成。
両側歩道の並木として東京を南北に貫く大幹線・昭和通りは、復興東京を代表する路線として、品川・上野間の東洋原産の公孫樹(イチョウ)を植栽、赤坂見附および五番町付近は染井吉野を植え継いだ。
復興道路・行幸道路および昭和通りは四列式の並木。
1939昭和14年、ドイツのポーランド進撃に対する英仏の対独宣戦に始まる第二次世界大戦はじまる。
2022年2月からウクライナが戦火にさらされている。街路樹は平和なればこそ、一日も早く戦争が終わりますように。
参考: 『明治事物起原』石井研堂1926春陽堂 / 『世界大百科事典』1972平凡社 / 「東京市道路誌」1939東京市編 / 国会図書館デジタルコレクション
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