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2022年4月30日 (土)

卓球 あれやこれや

 コロナ禍。この間まで開け放しの卓球場は寒かったのに、今は気温が上がりピンポンおばさんは汗びっしょり。ただでさえ無い集中力は途切れ言い訳するも、近ごろネタが尽きてきた。こんな生徒にも拘わらずコーチは手抜きしない。おかげで練習が楽しい。
 そればかりか、言われたように「少しは頭を使おう」とさえ思うようになった。
 すると、今更ながら「卓球は考えるスポーツ」。気づくのがあまりに遅いが考えないよりまし、それで卓球の本を読んでみた。
 為になる事がたくさん載っていた。その一方、うすうす感じていた「どうも自分は卓球センスがない」。でも、ラリーは楽しいから辞めない。
 本の中にプレーする人、しない人にも興味がありそうな言葉やエピソードがあった。その一部を紹介。

  ―――卓球の大きな特徴は、何歳からでも向上できるということだ。言い訳をしない姿勢。新しい技術に貪欲であること。そしてアドバイスを素直に取り入れようという気持ちさえあれば、大人になって毎日仕事しながらでも向上できるのが卓球という競技なのだ。
 サッカーやバスケットボールなどと違い、卓球はプレーの最中に長時間走ることはない。・・・・・歳を重ねてからも強さを維持することができ、たとえブランクがあってももう一度現役に復帰することも可能だ・・・・・
・・・・・卓球は何歳からでも向上できるのだ(『卓球センス養成講座』)

  ―――サービスは相手の影響を受けずに自由に出せるので、選手の個性が最も出る技術ともいえます。実際に試合をみると、サービスは構えもスイングも十人十色で、選手それぞれではっきりと異なります。
 そしてサービスでは多彩なフォームで様々な回転を使い分け・・・・・上回転、下回転、右横回転、左横回転・・・・・横下回転横上回転も加わるので回転の種類はさらに増え、それに加えて無回転の「ナックル」サービスもあり、これらをうまく使い分けて、相手のミスを誘おうとするのです(『卓球超観戦術』)

 1902明治35年、卓球ラバーの元祖生まれる。
   イングランドのフレデリック・グッドが薬局の釣り銭を乗せる粒がついたゴムシートを、卓球ラケットに貼って使ったのがきっかけという逸話が残る。
   日本の卓球界は海外との交流がなかったから、ラバーが広まったのは戦後。
 1904明治37年、日露戦争始まる。

 1921大正10年、「大日本卓球協会」結成。日本初の統一ルール制定。
 1923大正12年、関東大震災。
 1936昭和11年、第1回全日本選手権。男子単・中川武夫、女子単・保原キヨ優勝。

 1941昭和16年~1945昭和20年、第二次世界大戦のため、全日本卓球選手権中断。

 1950年代(昭和25年~)
  ―――日本は、多種多様なラバーを開発する。特に画期的だったのは「スポンジ」。さらに一枚ラバーとスポンジを組み合わせることで、「表ソフト」「裏ソフト」という「特殊ラバー」が誕生、コレラを使用した日本勢は世界の卓球会を席巻した(『卓球王国』卓球用具こぼればなし)。

   ラバー張りラケット:初心者ラケット。通常はラバーを張り替えられるように、ラケットとラバーは別売りされている。
   (けやきの独り言) ラバーの種類はたくさんあって翻弄されるばかり。異質ラバーの対戦者には参るが「卓球は道具だ」というのを聞いて、嫌がるばかりでは情けないかもと。

 1952昭和27年、世界選手権ボンベイ(ムンバイ)大会、日本初参加。4種目に優勝、世界に衝撃を与える。日本の黄金時代の始まり。
 1953昭和28年、全日本選手権、男子単・荻村伊智朗。女子単・渡辺妃生子優勝。
 1954昭和29年、第21回世界選手権ロンドン大会。日本初出場。
   男女団体、男子単(荻村)優勝。
   <けやきのブログⅡ 2021.10.23 伝説の卓球人・ピンポン外交、荻村伊智朗

 1956昭和31年、世界選手権東京で開催。日本が4種目に優勝、卓球ブーム起こる。
 1959昭和34年、世界選手権ドルトムント大会。日本6種目に優勝。卓球ニッポン。
 1961昭和36年、世界選手権北京。中国が3種目に優勝。中国の台頭。
 1963昭和38年、世界選手権プラハ。日本女子団体優勝。

 1965昭和40年、日本選手権。男子単・長谷川信彦(6回優勝)。女子単・森沢幸子。
 1967昭和42年、世界選手権ストックホルム。日本女子団体優勝。
 1971昭和46年、世界選手権名古屋。日本女子団体優勝。

 1979昭和54年、世界選手権平壌(ピョンヤン)大会。
   小野誠治、男子シングルス優勝。現在までで最後の日本人チャンピオン。
  ―――(『拉致と決断』蓮池薫)世界卓球平壌大会は北朝鮮の国力誇示の象徴で、「おそらく初めての」テレビ生中継があり、「招待所」に居る蓮池氏にも「卓球の観戦に専念しろという、変わった指示」が下りた。パク・ヨンスン選手の三連覇を見よ、ということである。しかし、中国選手に負けた。 国中が悲しみに浸る中、拉致された蓮池氏は痛快さを押さえられない。
  ―――孤独だったわたしに大きな力を与えてくれる出来事も起きた。大会の男子シングルスで日本の小野誠治が、世界最強といわれた中国の郭躍華を破って世界制覇を達成したのだ・・・・・・・・・・小野の優勝が決まったとき、平壌体育館は凍り付つき、わたしはテレビの前でひとり歓声を上げた。うれしく、得体の知れない力が込み上げた・・・・・(『卓球アンソロジー』)。

 1982昭和57年、全日本選手権。
   男子単・斎藤清(8回優勝)、女子単・神田絵美子。
  ―――(才能より練習)卓球の場合も、選手によって才能のある選手と才能のない選手がいます。同じ環境で、同じ努力をしていても優劣が出てきます。もって生まれた才能のある選手はある期間はたしかにいい成績をあげます。
 しかし、ある技術以上のレベルになると、事情はちがってきます。ほんとうのトップをきわめる選手はやはり練習を人一倍します。
 才能があっても、これを伸ばす努力をしない選手は脱落していきます。ぼくはその例を何回も見てきています(ジュニア・スポーツ・セレクション『斎藤清の楽しい卓球』)
 1988昭和63年、ソウル・オリンピックから卓球競技始まる。

 1991平成3年、世界選手権で統一コリアチームが女子団体決勝で中国9連覇を阻んで優勝。卓球台の色がブルー、ユニホームの色が自由になる。
 1993平成5年、福原愛がテレビに登場 “泣き虫愛ちゃん”として大人気に。
 1997平成9年、荻村伊智朗、世界卓球殿堂入り。 
 2000平成12年、ボールの直径が38ミリから40ミリに変更。
 2006平成18年、全日本選手権。
   男子単・水谷隼(前人未踏の10回優勝)、女子単・平野早矢香(5回優勝)。

 2011平成23年、張継科(中国)がチキータで大活躍、卓球史上最大の技術革新。
   ―――チキータ。主に台上のボールに対して、バックハンドで横回転を加える攻撃的手法。1990年代にチェコスロバキアのピーター・コルベルが多用して注目され、張継科らによって強烈なドライブに改良された。チキータはバナナのように曲がると思われているが、現在では全く曲がらないチキータが主流となっている(『卓球用語事典』)。

 2012平成24年、ロンドンオリンピック。日本女子団体(福原愛・平野早矢香・石川佳純)銀メダル。
 2016平成28年、リオオリンピック。日本男子団体・銀メダル。女子団体・銅メダル。水谷隼・銅メダル。卓球がブームに。
 2017平成29年、アジア選手権で平野美宇が日本選手として21年ぶりの優勝。
   国際卓球連盟の加盟協会数が226に。
 2018平成30年、全日本選手権で史上最年少の張本智和が14歳208日で優勝。
   Tリーグ、日本プロ卓球リーグ発足。

 2021令和4年7月25日、「2020東京オリンピック」から新に実施された混合ダブルスで、水谷隼・伊藤美誠が優勝、金メダル。
  ―――(『水谷隼 終わりなき戦略』) 美誠はサービス、レシーブでいろんなことができる。新しい技が多くて、見たこともないサービスやレシーブで相手を翻弄し、それを0-0でも10-10でも自分を信じて同じようにできる。それが相手の想像の範疇の外にある。・・・・・考えて予測するのと違うことをやってくるから、ぼくが美誠と試合するなら何も考えないでやる(2020.6「卓球王国」対談)。

   参考: 『卓球センス養成講座』三島崇明2020オーイズミ・アミュウジオ / 『卓球王国』20222月号卓球王国 / 『卓球王水谷隼 終わりなき戦略』2020卓球王国 /ジュニア・スポーツ・セレクション10『斎藤清の楽しい卓球』1991小峰書店  / 『卓球超観戦術』松下浩二2020カンゼン / 『卓球用語事典』著・伊藤条太、絵・掛丸翔2021誠文堂新光社 / 『卓球アンソロジー』田辺武夫2016近代文藝社

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