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2022年5月21日 (土)

年表で見る昭和47年(50年前)、大正11年(100年前)

 十数年前、夫婦で沖縄旅行に行った日、今にも雨が降り出しそう。水族館へ向かうタクシーで、「沖縄の空はいつでも青いと思っていた」と呟いたら、運転手さんが「沖縄はいつも晴れと思われてるけど、けっこう雨降ります」。続けて、「沖縄は基地があるし何かと大変なことがある」といろいろ話し出した。
 夜はホテルからタクシー運転手さんお薦めの郷土料理店で食事した。客は私たち夫婦と老若男女十数人のグループだったが、大勢でも騒がしくなかった。皆、お店の親戚で台湾から来たというお嫁さんを紹介された。
 台湾!そんな遠くからと驚くと、台湾と沖縄は昔から交流があったと笑顔で教えてくれた。
 そういえば日本はかつて台湾を統治していた。しかしそれより地図帳を開けば一目瞭然、沖縄と台湾は遠くない。その時、沖縄の現実もそうだし、何も知らないのを申し訳なく思ったが、いつの間にか忘れて暮らしている。

 “沖縄日本本土復帰50年”様々な報道のなかで「台湾有事へ県民の不安大きく」(2022.5.18毎日新聞)で沖縄の郷土料理店の夜を思い出した。あの晩の親戚ご一同の皆さん、復帰50年をどのような思いで過ごされたでしょう。

     50年前、1972昭和47年

  1月7日、ワシントンの日米首脳会談、沖縄返還を5月15日と定め共同声明。
  1月24日、太平洋戦争生き残りの横井庄一さんグアム島で発見される。
  2月3日、第11回冬期オリンピック札幌大会。
     ―――70級ジャンプで日本は1・2・3位独占。
  2月、浅間山荘事件。連合赤軍が立てこもった河合楽器の保養所をクレーン車でつるした鉄球で破壊。

  3月21日、高松塚古墳から極彩色壁画出現。
  4月16日、川端康成自殺(72歳)。

  5月15日、沖縄が日本本土に復帰。時の首相・佐藤栄作(64年11月~72年7月)。
   その日、沖縄は雨、そして復帰50年令和4年5月15日の沖縄もまた雨。
     ―――72年5月15日、東京・日本武道館と那覇・那覇市民会館の2会場をテレビ中継し、沖縄復帰記念式典が開催された。

  6月25日、沖縄県知事選。
     屋良朝苗、革新統一候補として当選(~1976昭和51年6月)。
     屋良朝苗:1902明治35年、沖縄生まれ。広島高等師範学校卒業。沖縄・台湾での教職を経て1943昭和18年、台北師範学校教授・沖縄の知念高校校長、のち沖縄群島政府文教部長、沖縄教職員会会長として教育界の再興に尽くす。その後、祖国復帰運動の中心となり施政権返還に取り組む。

  7月5日、田中角栄総裁となる(72年7月~74年12月)。
  7月14日、閣議、新全国総合開発計画の「日本列島改造論」との調整決定。
  9月29日、日中国交回復。毛沢東主席と田中角栄首相、日中共同声明に調印。
  11月1日、足尾銅山、来春の閉山決定。
  11月5日、中国からのパンダ、上野動物園で初公開。
  11月13日、元女優・岡田嘉子、34年ぶりにソ連から帰国。
  12月10日、第33回総選挙。

         ***   ***   ***   ***

      100年昔、1922大正11年

  1月10日、大隈重信没(83歳)。
  1月22日、普選断行・綱紀粛正民衆大会、東京で開催。
  2月、   魯迅『阿Q正伝』完結。
  2月1日、山県有朋没(83歳)。
  2月5日、海軍、ワシントン軍縮条約に基づき戦艦土佐など9隻に建造中止を命令。  2月25日、『旬刊朝日』創刊(4月週刊化)。

  3月28日、沖縄県営鉄道・嘉手納(かでな)線が開通。
     ―――製糖業の展開と併行しながら、陸上交通網や海上開通網も漸次整備された。1914大正3年に県営鉄道、1917大正6年に乗り合いバスが登場した。県営鉄道は与那原線に続いて嘉手納線、1923大正12年に糸満線が開通した。1914大正3年には那覇・首里間電車が、与那原・泡瀬間に馬車軌道が開通し、貨客輸送の一翼をになった・・・・・(『沖縄県の歴史』)。

  4月2日、『サンデー毎日』創刊。
  4月20日、治安警察法改正公布(婦人の政談集会への参加と発起を許可)
  4月22日、健康保険法公布(震災のため施行延期)。
  5月4日、孫文、第2次北伐を命令。
  5月、  山形屋呉服店沖縄支店設立。
  6月24、政府、シベリア派遣軍撤退を声明。

  7月9日、森鴎外没(60歳)。
  8月14日、『東京朝日新聞』―――現職を退く内山小二郎、柴五郎両大将・明日の大官更迭に依願免官・新侍従武官長は奈良原中将が兼任・・・・・・・・・・内山大将はいま陛下に供奉して日光に・・・・・(中略)・・・・・柴大将は今年63歳だが、その半生は全くの武人として一貫した仁である。幕末の頃北の一画に在って気を吐いた会津武士の血を受け・・・・・一心不乱に勉強して幼年学校にはいってからも英才を現した。上原元帥や楠瀬将軍などは上級生である・・・・・将軍は青山南町の邸前に白地に絽の羽織袴姿を現した・・・・・いつまでも後進の道を塞いでいるのは本意ではない・・・・・(大正11.8.14)。

  8月17日、有島武郎、北海道の狩太農場400町歩を小作人に全部無償提供する。
  9月25日、『東京朝日新聞』(大正11.8.14)
     ―――熱海町蓬莱田の別荘で療養中であつた東海散士柴四朗氏、永眠。遺骸は遺言により解剖の上荼毘に付し本葬は郷里福島県若松市で行ふ筈(熱海電話)・・・・・(同上)。
  11月2日、海軍軍縮条約・九ヵ国条約調印。
  11月8日、犬養毅・尾崎行雄・島田三郎ら<革新倶楽部>を結成。
  11月18日、改造社の招待でアインシュタイン来日。相対性理論ブーム起こる。
  12月30日、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連邦)成立。
   
   この年(大正11年)、ペストで死者67人、最後の流行。
   この年没、坪井玄道(71歳)体育界元老。  大井憲太郎(80歳)自由民権政治家。  宮崎滔天(53歳)評論家。

   参考:『日本史年表』歴史学研究会編1990岩波書店 / 『近代日本総合年表』1968岩波書店 / 『さよなら20世紀』2000毎日新聞社 / 『日本人名事典』1993三省堂 / 『沖縄現代史』櫻澤誠2015中公新書 / 『沖縄県の歴史』2004山川出版社

 

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