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2023年1月 7日 (土)

うさぎ・兎・卯年あれこれ

 令和5年1月1日の人口推計によると―――卯年生まれ997万人、18歳新成人最少112万人・・・・・18歳の新成人は少子化を反映して過去最少(2023.1.1毎日新聞)。
 今年は2011平成23年(癸卯)東日本大震災原発事故から12年、卯年一巡。その時生まれた子は中学生。その震災前の卯年、そのまた前の卯年に何があった?
 手持ちの年表は持主同様古く昭和でお終い。そこで、明治・大正の卯年を見てみる。
 はじめに「卯」あれこれ。
  ―――「卯」の【なりたち】象形、肉を二つに切り分けたさまにかたどる。劉の原字。
 【意味】①う。 (ア)十二支の第四番目。動物ではうさぎ。 (イ)方角では東。 (ウ)時刻では御前6時。明け六つ。 (エ)月では二月。 (オ)*五行では木。 ②期限。 ③おかす。 ④しげる。(同)茂。⑤ほらあな。「卯眼」。
   五行:天地の間に広がり、めぐり動いて、やむことのない五つの元素。木・火・土・金・水。(『新字源』)。

  ―――(文化の時計~十二支)は、数字の年齢を越えて人を温かな雰囲気で包み込む。十干(じっかん)の甲乙丙丁戊己庚辰壬癸を気にかける機会はあまりなくても十二支年(じゅうにしどし)がこころの片隅にある人は少なくない。・・・・・不思議な心理的効果を与え、分子生物学とは関係なく、生きとし生けるものの連なりを感じさせる・・・・・(中略)・・・・・中秋の名月は月の輝きと野山の豊穣が感応し合う特別な時だ。このとき、うさぎは野山にもいて月にもいる・・・・・
うさぎ、うさぎ、何見てはねる、十五夜お月さま見てはねる・・・・・(『日本十二支考』)。

  ――― 卯は本名は「ウ」で「サギ」は梵語で「舎迦(さぎ)」を合せて「うさぎ」と呼ぶ・・・・・兎は小さい獣で、身の長さが二尺ばかりもありまして、而して耳は身体の割合にしては甚だ長いので・・・・・実に長いものでございます。而して其の長い耳を始終振り立てて、少しも油断なく、何か危害を加へる者はありはせぬか、敵の来襲はなきかと、諦聴(よくき)いて居りますが、其れはそれは其の長い耳の感覚と申したら、実に驚くべきほど鋭敏(はしこ)いのでございます。・・・・・世間の出来事を素早く聞き出すものを、「兎耳(ごじ)」と云ふ・・・・・(『古今卯年物語』)。

 1855安政2年(乙卯)
  2月、幕府、松前氏の居城付近を除き全蝦夷地を上知させる。
  3月、幕府、梵鐘を大小砲に改鋳するよう布告。 フランス艦隊下田来航。イギリス艦隊箱館入港。  ロシア・プチャーチン、伊豆戸田村で建造した船で退去(前年の安政大地震でプチャーチン乗艦ディアナ号大破)。 オランダ商館長、*風説書で露土戦争の戦況を告げる。 
   風説書:鎖国化の江戸時代、長崎に入港するオランダ船・中国船がもたらした海外情報。オランダ通詞、唐通詞が和訳し長崎奉行を通じて幕府に献上。
  3月1日、江戸日本橋・浅草大火。
  6月、オランダ国王、蒸気船スンビン号(のち観光丸)を幕府に贈る。
  7月、長崎に海軍伝習所を設ける。
  10月2日、江戸大地震(安政大地震)、壊家焼失1万4346戸、町人の死者4千人余。 藤田東湖(幕末の政治家・思想家)小石川の水戸藩邸で圧死。 幕府、震災による物価・工賃騰貴を制止し、物資供給を命ずる。
  12月10日、千葉周作(剣客)没。

 1867慶応3年(丁卯)
  1月11日、徳川昭武ら一行、パリ万博博覧会へ参加のため横浜出航。
  2月6日、将軍慶喜、大阪城で内政・外交について仏外交官ロッシュの助言を受ける。  2月25日、遣露使節小出秀実ら、日露樺太雑居などの樺太仮規則5か条に調印。
  4月、海援隊、坂本龍馬隊長となり土佐藩に属す。
  6月、陸軍所にフランス人指導の三兵仕官学校設立。海軍所でイギリス人指導の航海伝習志願生募集。
  8月、名古屋地方に「えいじゃないか」起こり、東海道・江戸・京畿その他に拡大。
  10月15日、将軍参内、大政奉還の沙汰書を受ける。
  11月15日、坂本龍馬(33)、中岡慎太郎(30)京都で暗殺される。
  12月9日、朝廷、王政復古を宣言(翌年、戊辰戦争起こる)。

 1879明治12年(己卯) 
      [三条・岩倉大臣]
  1月、東京学士会院第1回(初代会長・福澤諭吉、日本学士院の源流)。 『朝日新聞』創刊。
  3月、松山にコレラ発生、全国に蔓延(年末までに患者16万余人、死亡10万余人)。
  4月、琉球藩を廃し沖縄県設置(5.20清国より抗議)。
  6月、大蔵卿・大隈重信、紙幣消却の増額など財政政策につき建議。 東京招魂社を靖国神社と改称。
  9月、伊藤博文、「*教育議」を天皇に提出。
   教育議:明治天皇が教育の根本方針について示した「教育聖旨」に対して伊藤博文が批判意見を上奏した文書。
  10月、徴兵令改正(免役範囲の縮小)。 猪苗代湖疎水工事起工(1982完成)。
  11月、愛国社第3回大会、国会開設の署名を決議。 『東京横浜毎日新聞』創刊。
  12月、アメリカの動物学者モース、大森貝塚の調査分析を発表。

 1891明治24年(辛卯)   
                [第1次山県有朋内閣 / 第1次松方方義内閣]
  1月、東京・大阪商業会議所設立認可。 9日、内村鑑三、第一高等中学校の始業式で教育勅語に拝礼せず問題化。
  2月20日、衆議院、憲法67条にもとづく歳出に関し政府の同意を求める動議を自由党土佐派などの賛成で可決。
  3月、立憲自由党大会。党名を自由党と改称、総理・板垣退助。 8日、神田駿河台のニコライ堂開堂式。
  5月11日、大津事件。巡査・津田三蔵、来日中のロシア皇太子に斬りつける。 27日、大審院・謀殺未遂罪で無期徒刑を判決。
  9月1日、日本鉄道、上野・青森間全通。
  10月28日、岐阜・愛知県一帯に濃尾大地震。全壊焼失14万2177戸、死者7273人。
  12月18日、田中正造、衆議院へ初めて足尾鉱毒事件に関する質問書を提出。 22日、樺山海相、蛮勇演説(海軍省経費削減に反対し薩長政府の力を誇示する演説)。

 1903明治36年(癸卯)
           [第1次桂太郎内閣]
  3月1日、第8回総選挙。 27日、専門学校令公布。
  4月13日、小学校の教科書、国定化決定。
  6月23日、御前会議。対露交渉開始を決定。 29日、滝廉太郎(25)没。
  7月5日、幸徳秋水『社会主義神髄』刊。
  8月12日、栗野駐露公使、日露協商基礎案をロシア政府に提示。  22日、東京電車鉄道、新橋・品川間開業。
  10月3日、駐日ロシア公使ローゼン、小村寿太郎外相にロシア側協定対案を提出。 12日、『万朝報』主戦論に転じ、幸徳秋水・堺利彦・内村鑑三退社。 30日、尾崎紅葉(37)没。
  12月10日、衆議院議長・河野広中、勅語奉答文で政府弾劾。 30日、参謀本部・軍令部首脳会議、開戦時の陸海軍共同作戦計画を決定(翌年2月、宣戦布告・日露戦争)。

 1915大正4年(乙卯)
         [第2次大隈重信内閣]
  1月18日、駐華公使・日置益、中国大総統・袁世凱に対華21ヶ条の要求を提出。  2月11日、東京の中国留学生24人、21ヶ条要求に抗議して大会を開催。
  6月19日、友愛会会長・*鈴木文治、アメリカの排日運動緩和のため渡米。 21日、2個師団増設・軍艦新造費などを含む追加予算公布。 30日、内務省、看護婦規則公布(看護婦の資格を規定)。
   けやきのブログⅡ 2015.5.16<生計の困難にして不安、更にこれに劣らぬ苦痛は侮辱、鈴木文治(宮城県)>

  8月18日、大阪朝日新聞社主催、第1回全国中等学校優勝野球大会開催。
  9月11日、堺利彦・高畠素之ら『新社会』(『へちまの花』改題) を創刊。
  10月19日、政府、英仏露ロンドン宣言(単独不講和)に加入。
  11月3日、山下汽船・靖国丸、地中海でドイツ軍艦により撃沈。 30日、日・仏・英・伊・露5ヵ国、単独不講和宣言に調印。
  12月4日、東京株式市場、暴騰(大戦景気のはじまり)。 11日、北里研究所(細菌学者・北里柴三郎)開所式。

   参考: 『古今卯年物語』1903晴光館 / 『新字源』1985角川書店 / 『日本十二支考』濱田陽2017中公叢書 / 『日本史年表』歴史学研究会編1990岩波書店 / 国会図書館デジタルコレクション

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