月を字句で愉しむ
早朝、散歩している。サボりがちだったが、コロナ禍で行動範囲が狭まってからはせっせと歩いている。そうしたら頑張って歩く30分が少々縮まったような気がする。
トボトボ歩きもやめて顔を上げると、道のずっと先まで見通せる。天を見ると月が残っている!
散歩のご褒美は、昔覚えた百人一首“有明けの月”を思い出したことかもしれない。
朝ぼらけ有明の月とみるまでに 吉野の里にふれる白雪 (坂上是則)
―――夜明け方に空を見ると、有り明けの月の光がしらじらと辺りを照らしているのであるまいかと思われるほどに、この吉野の里に雪が降り積もっているよ (『小倉百人一首新講』)。
今来むといひしばかりに長月の 有明の月をまち出でつるかな (素性法師)
―――すぐに参りますとあの人が言ったばかりに、九月の夜長に今か今かと待つうちに、やって来ないで、とうとう有明の月の出るのを待つ事になってしまったよ。よくまあ待ったものだと我ながら呆れることだ (同上)。
なげけとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな (西行法師)
―――嘆きなさいといって、月が私に物思いさせるのだろうか。いや、そうではない。月はただ平然と空に照っているのだ。今私は恋に悩んで物思いにふけっている、それをあたかも月が私に物思いをさせているかのように、月にかこつけて、私の涙は流れることであるわい (同上)。
仏の道を求めながら、旅にあけくれた西行が、自らの最後をと願ったのは如月の望月(満月)のときでした。今でいえば、桜の咲き始める三月のころです。
【有明の月 ・ 残月】
文字どおり、夜明け前に残っている月。
呼び名いろいろ、名残の月・朝行く月・暁月(ぎょうげつ)・有明の月・黄昏月(たそがれづき)・夕月・山の端の月・山月。
―――月は、ありあけ、東の山の端にほそうていづるほどあわれなり
・・・・・二十六、七ばかりのあかつきに、物語していあかしてみれば、あるかなきかに、心ぼそげなる月の、山の端近くに見えたるこそいとあわれなれ
―――源氏物語の紫式部が、まん丸な満月の光のみなぎるさまを好んだのに対し、清少納言の方は、新月直前の明け方のごく細い月が大のお気に入りだったことがわかります(『月と暮らす』)。
【満 月】
―――日本の月の物語一番の大スターは、何といっても日本最古の小説といわれる『竹取物語』でしょう。竹取の翁が竹やぶの中で見つけたかぐや姫・・・・・満月のころになると、「私は月の都の住人で、八月十五日の晩、月より迎えの者がやってきて月に帰らねば・・・・・」月よりの使者の燦然たる光に目をくらまされ、竹取の翁と媼が嘆き悲しむ中、かぐや姫はしずしずと月へ昇っていきます(『月と暮らす』)。
―――花はさかりに、月はくまなきをのみ、みるものかは。雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春の行方しらぬも、なほあはれに情深し(兼好法師『徒然草』)。
(月は澄み渡ったものを見るものではなく、雨に対して月を思うのも趣があるという)
―――八月十五夜くまなき月かげ、ひま多かる板屋のこもりなく漏り来て・・・・・(『源氏物語』夕顔の巻)
【俳句の月】
涼しさやほの三日月の羽黒山
雲の峯幾つ崩れて月の山
―――月山に登った。・・・・・強力という者に道案内されて、雲や霧のたちこめる冷えびえとした山気の中を、氷や雪を踏んで登ること八里、まさに太陽や月の運行する路にある雲間の関所に入ったのかと疑われるほどで、息も苦しく、体はこごえそうになって、ようやく頂上に達すると、折から太陽が沈んで月が揚がった。・・・・・昔、この出羽の国の刀鍛冶が、霊験あらたかな水を選んで、この地で、心身を清め汚れを払って剣を打ち、ついに「月山」という銘を刻み込んで、世にもてはやされるようになったのであった・・・・・(『おくのほそ道』)。
【ことわざの月】
月夜に釜を抜かれる
明るい月夜に釜を盗まれる。油断のはなはだしいたとえ(いろはがるた)。
月下氷人
男女の縁をとりもつ人。仲人。唐の韋固(いこ)が旅行中、月夜に老人に会った。その老人は、袋の中の赤い縄で、天下の男女を結ぶ人であった。数年後、韋固はその老人の予言通りに良縁があって結婚した。
月旦評
人物の批評。月旦は毎月のついたち。中国後漢の許劭(きょしょう)が従兄の許靖と毎月の一日に、郷党の人物評をした故事による。
月の赤きは火災の兆
月が赤く見えるときは天気が良い時で、そうした日は乾燥して火災が起こりやすいので、このようなことがいわれる。
【江戸川柳の月】
仲麻呂は日本の月を遠眼鏡
仲麻呂は中国に居ながら、日本の三笠の山の月が見えたというのであるから、望遠鏡で覗いたに違いない。月は地球上のどこからでも見えるはずだが、遠眼鏡としたところがミソ。
月落ち烏啼いて女房腹を立て
月も沈み夜も更けて、夜烏が啼くこんな時間になるまで寝ずに待っているのに、亭主は帰ってこない。きっと吉原へでも行ったに違いない。
唐詩選名月ばかりみんなよみ
『唐詩選』では月というと名月ばかりを詠んでいる。「中国人は月というと、名月しか賞美できないのか。全く芸が無いね」という作者の声が聞こえる。
【四字熟語の月】
停雲落月(ていうんらくげつ)
―――親友を思うたとえ。停雲は、空にとどまって動かない雲で、陶淵明の親友を思う詩の題名。落月は、沈みかけた月で、杜甫が李白を思って作った詩の題。ふたつの詩から出た言葉。
雪月風花(せつげつふうか)
―――自然の景色、四季の景観をいう。またそれを鑑賞し、詩を吟じ、俳句をたしなむ。実生活から離れたこと、趣味の境地。それに男女の愛情のたとえの意もある。
月下独酌(李白)
―――春の花の下、ひとり酌む酒。月とおのれの影とが相手。
風月同天
山川 域を異にすれども 風月 天を同じうす
諸もろの仏子に寄せて 共に来縁を結ばん(長屋王)
ところは離れていても、風や月は同じである。空間を超えた絆を、風・月にたとえていう。日本の長屋王が中国の唐に送った詩「繍袈裟衣縁」より。
参考: 『月と暮らす』藤井旭2019誠文堂新光社 / 『江戸川柳で愉しむ中国の故事』若林力2005大修館書店 / 『「四字熟語」博覧辞典』真藤健志郎1994日本実業出版者 / 『ことわざの辞典』1991三省堂 / 『中国史で読み解く 故事成語』阿部幸信2021山川出版社 / 『おくのほそ道』堀切実1997NHKライブラリー / 『暮しのことわざ事典』大後美保1980創元社 / 『百人一首新講』平井孝一1958博文堂出版
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