時代をうつす 永瀬洋治著『わたしの川口物語』
2023年3月11日東京ドーム。WBC選手たちがグラウンドで輪になり東日本大震災の被災者を追悼した。そのうちの大谷翔平選手と佐々木朗希選手はともに被災地・岩手県出身とみな知っている。
佐々木投手は大震災で父と祖父母を喪い人に大きな苦労があったと思うが、素晴らしい選手に成長して大活躍! 両投手をはじめ皆さん皆さん大活躍は、私たち日本の皆を元気づけている。
これを書いている頃、侍ジャパン選手一行はチャーター機でマイアミへ! どこが相手でもがんばって! 応援頑張る!
WBC開催中の東京ドームは人・人・人で大賑わい。テレビは、試合はもちろんWBC選手の応援で満員の飲食店内も放映していた。大喜びで乾杯する客にテレビの前で同調、料理屋をしていた友人の話を思いだした。
「巨人の斎藤雅樹投手が後援者と来店したことがある」
そういえば、斎藤雅樹投手は川口出身。その川口が<住みやすい街アンケート>で一位となったそうだが、前から人気みたい。『わたしの川口物語』に次のような話がでている。
―――2008年1月あるインターネットサイトで、首都圏における住みよい街ランキング・・・・・埼玉県内では唯一、10番目にランクされてます。・・・・・それは川口駅周辺なのだろと思いますが・・・・・マンションに住んでいる人たちが、荒川を毎日見て、あの雄大さというか、空間が、まさに心を癒やされる・・・・・非常にゆったりとした、それが・・・・・(塗師祥一郎・岡村幸四郎・永瀬洋治鼎談)。
川口といえば、一昔前の映画「*キューポラのある街」(昭和37年)が有名。
吉永さゆりさん扮する鋳物職人の娘ジュン、その透明でキラキラした目が印象に残る。
映画は、ジュンが隣家の若い工員たちと元気に力強く生きた「キューポラのある町」物語である。
キューポラ:鋳鉄を溶かす円筒形の炉。溶鉱炉。
映画公開からほぼ20年、川口生まれの川口育ちの著者が実体験と自ら調べた史実を交え『わたしの川口物語』を記した。
―――昭和の初め頃の川口。東京駅から*省線電車大宮行きに乗って、北へ三十分、東京府と、埼玉県の境を流れる荒川の鉄橋を渡ると、間もなく田園風景が広がってくる。すこぶる長閑だが、夜は暗く、心細いほどさびしい。だが、この町は違う。この町の夜、初めて訪れた人は、停車場から降り立ってびっくりするだろう。 「あっ火事だ!」。周辺に林立する鋳物工場の溶鉱炉から一斉に紅蓮の炎が*吹きのぼり、夜空を染めている――夜吹きである・・・・・(後略)。
省線電車:現在のJR。明治生まれの父も「省線」と言っていたので懐かしい。
吹き:銑鉄の溶解作業。
<川口のむかし>
『義経記』と『とはずがたり』―― 鎌倉街道、義経が通ったという伝説がのこる。
「さても惜しきことなりき」伊那郡代 ―― 赤山に陣屋跡。
平成に復活、キリシタン秘話 ―― 川口に住んでいたキリシタンの秘話を芝居にし、栗原小巻・永島敏行らが出演。平成2年12月、一週間上演。
桜吹雪の幻想・・・吉田権之丞と安行植木 ―― 川口は江戸時代から植木が盛ん。
日光御成道 錫杖寺と大奥老女滝山そして墓地問題
鋳物の歴史とわが家の先祖 ―― 著者の永瀬家に1763宝暦13年に出された*鋳物師(いもじ)免許状、他にも古い文書が残る。
鋳物師:鋳型に溶解した鉄湯を流し込んで製品を作る職人、その親方層に付される。
<近代の川口>
「幕末の鋳物師と勝海舟の一喝」
幕末の国難に各藩から大砲鋳造の注文が殺到、幕府の役人勝海舟が来たが、鋳物師の仕事ぶりを一喝
―――「お前さん! この国の一大事な時に、そんな了見でいいのかい? 反省しろ!」
―――鋳物工業は明治期に入り、四代目増田次郎や鋳物工業中興の祖といわれる永瀬庄吉などの助力により、従来の焼型工法から生型工法に変わり、燃料が木炭から石炭コークスへ、*踏鞴(たたら)による送風が電力、*甑(こしき)からキューポラへと移り変わり、鍋釜から大砲、さらに鉄門、水道管、」ストーブ、船舶エンジン、大型機械など多種多様な製品を生産するようになって、飛躍的に発展を遂げていった。
踏鞴(たたら):足で踏んで風を吹き送る大きなふいご。
甑(こしき):鋳物用の溶鉱炉。
―――童謡「青い月夜の浜辺には・・・・・」を聞くたびに、母を思い出す。・・・・・母は1900明治三十三年九月、川口町で生まれ・・・・・1919大正八年近くに住む父を婿養子に迎えた・・・・・父は東京帝国大学英法科を卒業、同時に一年志願の陸軍少尉に任官・・・・。
―――両親は伊香保温泉に逗留していたので、そこで地震(関東大震災)を経験、父の日記によれば
「大正十二年九月一日、午前11時50分頃強震アリ 一同驚ク・・・・・東京地方未曾有ノ大地震 引キ続キ 大火災ニテ東都全滅ノ報ヲ聞キ・・・・・電信電話不通ニシテ 汽車又大宮以南不通ナリ」
「九月三日、避難民ハ川口町駅ニ向ヒテ来ルモノ何十万ナルヲ知ラズ 然モ流言蜚語ハ各所ニ起リ・・・・・夜ニ入レバ電灯ハ全テ消ヘ 自警団ハ抜刀ヲ携フリモノアリ・・・・・ソノ不安ソノ物凄サ トテモ話ニナラズ コノ朝 朝鮮人百六十名ヲ蕨町ヘ送ル」
父は単身で帰宅するや、在郷軍人の将校で役員であったので、陸軍赤羽工兵隊から派遣された兵隊たちと共に、倒壊物の復旧、避難民の救済、朝鮮人の保護などにあたった。
<大東亜戦争中の銃後(空襲など)>
―――1941昭和16年12月8日朝、ラジオは日本が米英に対して戦を始めたことを報じていた。学校に行くと、全校児童が校庭に集められ・・・・・ 校長先生が「天佑ヲ保有シ・・・・・」と長い宣戦の勅書を朗々と読み始めた。それが終わるまで、頭を下げっぱなしで、終わったとたんみんなが一斉に鼻水をすすった・・・・・・・・・・ 昭和17年4月18日、私は国民学校五年生・・・・・突然「ビシーン」という大きな音。びっくりして、庭に出てみると、見なれない星のマークの大きな米国爆撃機がわが家の上を低空で・・・・・ 飛び去っていった。生まれて始めて見た敵機! 何ともいえない無気味さに恐れおののいた。
―――1945昭和20年になると、米軍は連日のように夜はボーイングB29の爆撃、昼はグラマン戦闘機の機銃掃射で私たちを悩ました・・・・・
―――3月10日の東京方面の大空襲は特に規模が大きかった。この時、荒川を隔てた対岸の東京都側は火災で、夜空が真っ赤に染まり、まさに地獄絵を見ているようだった。翌日になっても火災はおさまらず・・・・・終日薄暗い日が続いた。・・・・・4月13日の空襲は川口も数カ所焼夷弾投下を受け、青木一丁目の市役所東側、寿町、飯塚一丁目・・・・・全焼82戸、全半壊110余戸という被害・・・・・原町の田圃にB29が一機墜落している・・・・・埼玉県では熊谷市が終戦の前日、大空襲により壊滅的な被害を被った・・・・・
―――私の在学していた旧制浦和市立中学校は・・・・・本土決戦に備え、軍隊が校内に駐屯・・・・・上級生は勤労動員学徒として、大宮、浦和、川口市内の工場に配属され・・・・・。
<戦後から現在へ>
―――当時わが家は父がビルマ(ミヤンマー)戦線に出征中であり、母は肺結核を患って八条村の親戚で静養、祖母と二人の弟は祖母の実家の蒲生村へ、姉と妹は浦和へ疎開し、私だけが川口の家に・・・・・天皇陛下の放送・・・・・ガーガーと雑音が入り、聞きづらいうえ、お言葉が難しく、意味がはっきりつかめなかった。そのうち戦争が終結、しかも無条件降伏ということが分かってくる・・・・・
―――終戦に日から数日後、有楽町にでてみた。銀座一帯の焼け跡を見ながら、霞ヶ関方面に向かうと、官庁街では膨大な書類をしきりに焼却して、どのビルからも煙がもうもうと・・・・・学校の授業が再開・・・・・軍隊はとうに解散し、がらんとした校庭には初秋の風とともに軍馬の糞の臭いがかすかに残り、兵共(つわものども)の夢のあとが偲ばれた・・・・・(後略)。
<博覧強記の語り部・永瀬洋治さん>
―――永瀬洋治さんは代々川口宿本陣の役目をつとめられた名門の出で、正真正銘の"お坊ちゃん"である。・・・・・四冊目の出版になる本書は、本市にまつわる歴史上の事柄を様々な切り口から興味深くとりあげている。この二~三年は「川口の語り部」として面目躍如・・・・・NHK大河ドラマ「篤姫」が始まってからは、本市ゆかりの老女「瀧山」について、実際に史蹟に足を運んだり、末裔から聞き取り調査した興味深い話を中心に聴衆の喝采を博している・・・・・(富田英雄)。
参考:『わたしの川口物語』永瀬洋治2009求龍堂 / 『川口大百科事典』1999川口大百刊行会刊行会
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『地球の歩き方 JO7 埼玉 2023~24年版』Gakken
―――荒川を隔てて東京23区に接し、マンションが立ち並ぶ一大ベッドタウン。鋳物で栄えた ものづくりの町で、郊外には埼玉県花と緑の振興センターなど植木や植物のスポットも多い。
―――<キューポラのあった街> ・・・・・キューポラとは鉄の溶解炉のこと。最盛期にはあちこちにキューポラが林立・・・・・その当時の様子は、映画「キューポラのある街」で観ることができる。現在のまちは一変したが、町の発展を支えた鋳物の歴史は、文化財センターで知ることができる。
―――<おもな見所> 川口総合文化センターリリア・錫杖寺・ゴリラ公園・アリオ川口・川口市立アートギャラリ-・日本万華鏡博物館・川口市立・サイエンスワールド・SKIPシテイ映像ミュージアム・青木町平和公園・鎮守氷川神社・旧田中家住宅・鳩ヶ谷氷川神社・郷土資料館・地蔵院・川口市立グリーンセンター・埼玉県花と緑の振興センター・密蔵院
―――キューポラの街、川口はベーゴマの聖地・・・・・ 最も小さい鋳物製品のひとつであるベーゴマを唯一専門に製造販売する貨車がある。・・・・・日三鋳造所ではベーゴマを専門に製造を続けている・・・・・毎月第1土曜日に川口駅西口リリア公園で「ベーゴマ道場を主催するほか、県外でもイベントや大会を開催している・・・・・
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