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2023年4月 8日 (土)

明治大正・学校野球部応援歌さまざま

  <明治:野球は巾着切りのゲーム?>(けやきのブログⅡ2012.4.27)
   ――― 海の向こうメジャーリーグ、ダルビッシュ黒田投手が投げ合いカッコイイ・・・・・

 2023年3月WBC・侍ジャパン選手大活躍! テレビ観戦に明け暮れ楽しい日々だった。ただ、ブログのテーマが浮かばないのには困った。
 何とかひねり出すも中味はイマイチ、それでも何とか更新している間に、我が侍ジャパンはめでたく世界一!
 さあ、落ち着いて書こうとしたらプロ野球開幕! 贔屓チームを応援しないと、あヽ忙しい。
 開幕3戦目。大勢投手が凱旋初セーブ、G友に勝ちメールしてホッ。こうなれば野球を書くしかないが時どき書いてる。似たテーマは避けたい。それで過去記事を検索すると、11年前<野球は巾着切りのゲーム?>を書いていた。
 改めてダルビッシュ投手がメジャーで長く活躍しているのを認識、その凄さに感心するばかり。さらに、今や世界のスーパースター・大谷選手がまた素晴らしい!
 両選手とも怪我に気をつけさらなるご活躍を! もちろん日米問わず、選手全員ね。
 
 甲子園、春の選抜高校野球大会も盛り上がりました。
 山梨学院初優勝! 山梨県勢として春夏通じ初めて甲子園制覇、どんなに嬉しく県民の皆さんも喜んだことでしょう。
 さて、イマドキの応援はブラスバンドやチアリーダーで盛り上っている。どちらも華やかで活気にれあふれ、グラウンドの観客もテレビ桟敷もみ~んな楽しめる。
 ところで、明治生まれの父は若い頃、学生野球をよく観たという。今のようなプロ野球が無かった時代、当の学生はもちろん世間一般みな学生野球を楽しんでいたよう。
 当時の野球応援はどんなだったのかな。
 昔の応援歌の歌詞には選手の意気込みや時代の空気が色濃く反映している。
 大正時代の野球小説集・附録「全国著名学校野球部応援歌」を見ると、今も歌い継がれる野球応援歌がある一方、現代は変わっていそうなのもある。
 軍歌のような歌詞もあるなど興味深いが引用は一部分のみ、また60校の応援歌が掲載されているが校名のみにした所もある。
 もっと知りたい時は国会図書館デジタルコレクションでどうぞ。 
 
1894明治27年、高等学校令公布。高等中学校を高等学校と改称。

   <日米野球とともに発展した明治の学生野球
  ―――1896明治二十九年五月二十五日付に、第一高等学校(東京大学)チームが横浜在住の外国人チームと対戦、29対4で大勝したとの記事・・・・・これが「日米野球」の始まりといっていいでしょう。ただ、外国人チームといってもアマチュアクラブ。・・・・・この年から同三十五年ごろまで、一高は日本に寄港した米東洋艦隊乗組員チームなどと対戦、好成績をおさめています。当時、早稲田、慶応にも野球チームがありましたが、どちらも一高には歯が立たず・・・・・明治三十六年は初の早慶戦・・・・・(中略)・・・・・ 1907明治四十一年には「リーチオールアメリカン」というプロ球団が来日・・・・・ 戸塚球場で早稲田と対戦。試合前、大隈重信による日本初の始球式・・・・・ 試合はリーチ球団右翼手の戸塚球場初の場外ホームラン・・・・・ 「商売人と学生との競技なればお話にならず・・・・・」(『読売ぶっくれっとno29』)。

 1918大正7年、高等科・尋常科からなる男子高等普通教育の完成を目的。公私立も認可。大学予備門の性格が濃い。1947昭和22年廃止。

  <全国著名学校野球部応援歌
    法政大学野球部応援歌
     youthfulness
  In the fourth・・・・・ 筆者は英語がまったくダメなため割愛。母校なのに申し訳ない。

    明治大学野球部応援歌
      1(攻撃の時)
 一、雨の朝(あした)も風の夜も 花も紅葉もよそにして
   きたへきたへし此の腕(かいな) 今日ぞためさん時は来ぬ。・・・・・
      2(守備の時
 ・・・・・ 二、駿台健児の守る塁 たとへば金城鉄壁か
   敵軍如何に打てばとて などか破れん破るられん・・・・・

    慶應義塾野球部応援歌
     1(塾歌)
 天に溢るる文明の 潮東瀛によする時  血雨腥風雲くらく 国民の夢迷ふ世に  平和の光まばゆしと 呼ぶや真理の朝ぼらけ  新日本の建設に 人材植ゑし人や誰れ。
     2
 打てば勝つ三田の歴史は 昇る日の光に満つる 何者ぞ身の程知らぬ 咄(とつ)我に射向ふ彼ら・・・・・

    早稲田大学野球部応援歌
     1(校歌)
 都の西北早稲田の森に そびゆるいらかは我等が母校 我等が日頃の抱負を知るや 進取の精神学の独立 現世を忘れぬ久遠の理想 普(あまね)く天下に輝きしかん。 わせだ わせだ・・・・・
  3.敵塁如何に堅くとも 打てば破れぬ事やある 敵軍如何にうつとても 我は動かぬ鉄の城 ・・・・・ 血潮に染めし我が旗を 仰がぬ敵のあるべきや 早稲田男の児(おのこ)の敵何処(いづこ)。(敵は幾万の曲)・・・・・

    第一高等学校野球部応援歌
 一、天地の正気向陵にに 籠りてここに拾余年 その春秋に磨き来し 文武の道は数あれど 殊に勝れる野球部の 誉れは世々に尽きざらん・・・・・

    第二高等学校野球部応援歌
 一、北七州の秋ふけて 清気天地にみつるとき 西洛陽に桂冠の 去歳の栄誉(ほまれ)をまた得んと  誓いの言葉勇ましく 奮うてたてる我が勇士・・・・・

    第三高等学校野球部応援歌
 一、霜に乱れるる暁の 白露踏みて我立てば  神楽ケ岡の朝風に 若き血揺らぐ狂熱や・・・・・

    第四高等学校野球部応援歌
 一、紫摩(しま)黄金の燭ゆらぎ 玉觥(ぎょくこう)影に照り映えば  歓宴(うたげ)の春の短くて 現(うつつ)のまにも夜や明けん  二十世紀の文明は 花の巷に憧憬(あこがる)か・・・・・

    第五高等学校野球部応援歌
 一、彩雲(あやぐも)映ゆる曙の 天(あま)にそそり立つ東(ひんがし)の 蘇峯の姿を心とし 希望(のぞみ)の光新しき 基礎(いしずえ)茲に十八の 光栄(はえ)ある歴史憶(おも)ふ哉・・・・・

    第六高等学校野球部応援歌
 一、春は梅咲く六陵(りくりょう)に 歴史の蕾綻(ほころ)びて 日も未だ浅き野球部の 薫りはすでに高かりき・・・・・

    第七高等学校野球部応援歌
 一、薩海(さつかい)の月影澄みて 三州の野に秋冴えて 桜丘(おうがく)の天夜は深く 戦士征衣の袖寒し 嘻(ああ)風更()けし寮上に 覚めし国士の意や如何に・・・・・

    第八高等学校野球部応援歌
 一、紫こむる暗(やみ)去れば 霽()れゆく靄の波間より 千鳥囀(さへづ)る鳴海潟 飛沫(しぶき)鎧の袖に散る 暁ごろの渚路を 若き尊(みこと)はいでましぬ・・・・・

    大阪高等商業学校野球部応援歌
 一、南柯(なんか)紫柑(しかん)の夢さめて 今明け初むる紅の さやけき光野に充てば 花の呼吸(いぶき)に花乱れ 希望(のぞみ)に燃ゆる若草の 若き緑に命あり・・・・・

    神戸高等商業学校野球部応援歌
 男子一度(ひとたび)起(たた)んとき 阿修羅の如く雄叫びて 陸(おか)吹く風に海風に 大旗(おおはた)かざして進みなん 球(きゅう)戦場の只中に 高く凱歌を揚ぐるまで・・・・・

    鳥取高等商業学校野球部応援歌
 一、来(きた)れや来れ剛の敵 我は名の負ふ久松の 古城の跡に鍛へたる 意気衝天の野球団・・・・・

    小樽中学校野球部応援歌
 一、守るも攻むるも黒金(くろがね)の 武者振り誇る若人が 鍛へし此の意気この腕(かいな) 北海の覇者の誉れなる 赤き心のたぎつ胸に 矛とる我等血に燃えん・・・・・

    麻布中学校野球部応援歌
 一、昔の優勝夢に見て 肉を食らい血をすすり 臥薪嘗胆有数年 今日に遭うふ身のうれしさよ・・・・・

 次は学校名を並べておく。
 歌詞から学校所在地の光景、世相も垣間見えるよう。
 詳しくは国会図書館デジタルコレクション『若き誇り:野球小説集』をどうぞ。
 長崎中学校・ 青山学院中学校・ 早稲田実業学校・ 松山商業・ 神戸商業学校・ 慶応普通部・ 京都第二中学校・ 愛知第一中学校・  松江学校・ 丸亀商業学校・ 神戸第一中学校・ 立教中学校・ 明治学院・ 岐阜中学校・ 成城学校・ 京都第一商業学校・ 広島商業学校・ 杵築中学校・ 広島中学校・ 長野師範学校・ 豊島師範学校・ 横浜商業学校・ 同志社中学部応援歌(同大野球部応援歌に同じ)・ 市岡中学校・ 長岡中学校・ 小倉中学校・ 京都第一中学校・ 豊浦中学校・ 山形中学校・ 静岡中学校・ 土浦中学校・ 広陵中学校・ 立命館中学校・ 北野中学校・ 松山中学校・ 桃山中学校・ 神戸第二中学校・ 関西学院普通部
 

   参考: 『読売ぶっくれっとno29 続・明治世相こぼればな史』読売新聞社2001 / 『若き誇り:野球小説集』(附録・全国著名学校野球部応援歌1~60)若水翠葉1920野球界社 / 『近現代史用語事典』安岡昭男編1992新人物往来社 / 国会図書館デジタルコレクション

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