『百姓・町人・芸人の明治革命』(自由民権150年)
コロナ禍でご無沙汰の友人から、元気してるか電話があった。「老いと若いを使い分け元気だよ」と言ったら、何それ?
トシだから人を宛てにして無理しない。ブログも力まず書いてる。
ところが、力強い本に出会って肩に力が入った。『百姓・町人・芸人の明治革命』(自由民権150年)である。
その随所に「masa」こと著者・津田正夫、相棒・分身「aibo」が登場。その会話に引き込まれるうちに自分の考えが浮かんだりする。
『百姓・町人・芸人の明治革命』自由民権150年
一、板垣死すとも自由は死せず・余聞 ―― 暴発前夜の自由民権運動
土佐の板垣退助像が岐阜公園に / 「イギリス型・立憲君主制」をめざして / 「弁士中止、解散!」の自由党遊説 / 「将来の賊!」 / 岐阜は"革命前夜"に / 相次ぐ士族たちの反乱 / 土佐・立志社が率いた国会期成同盟 / 恐懼して勅使を迎えた自由党 / 岐阜・末広座で「花吹雪伊奈波の黄昏」 / 「板垣死すとも自由は死せず」の真実 / 広がる激化事件と抑え込む政府 / 身分制に抵抗した板垣 / 岐阜板垣会・板垣国和さんに出会う / 岐阜人は芝居好き?
―――板垣が襲われたときに随行していた旧土佐藩士・竹内綱(後の衆議院議員)が吉田茂の父・・・・・かの大久保利通は吉田茂の義理の祖父・・・・・麻生太郎は吉田茂の孫・・・・・
―――恐懼して勅使を迎えた自由党
後年、進歩党(大隈重信)は、天皇陛下の万歳と進歩党の万歳三唱して党大会を閉会している。明治はそういう時代だったよう。
―――身分制に抵抗した板垣・・・・・大久保や大隈、伊藤ら官僚的な政治家らとの主導権争いでは遅れをとったが、「有司(官僚)専制」を批判し国会開設を求める民選議院設立建白書に始まり 「四民平等」「平民への参政権」をめざす気概は徹底・・・・・。
<余談>
『明治の一郎・山東直砥』の山東と、竹内・後藤は深いつながりがある。山東の曾孫・山東昭子参議院議員と竹内綱の後裔・麻生太郎氏、二人の交流はあるのだろうか。
二、自由言論のビッグバン ―― 演説と新聞が拓いた文明開化
初めて新聞を創った漁師ジョセフ・ヒコ / 土佐では「新聞の葬式」に一万人・・・・・
―――テレビに脅える権力者たち
二〇二三年(令和四年)二月にロシアがウクライナに侵攻・・・・・ロシアで最も視聴率の高い・・・・・番組で、キャスターが、欧米による経済政策について伝えていたときだった。「NO WAR」「プロパガンダを信じないで!・・・・・」文字がキャスターの後ろに隠れないよう、右へ左へリズミカルに動く。・・・・・ その間、わずか五秒ほど。・・・・・僕はあっけに執られながらも胸を揺すぶられた。・・・・・なんと勇敢な人だろう!・・・・・
―――民権運動のふ卵器になった『愛岐日報』
愛知の自由党系新聞社『愛岐日報』からは多彩な人材が生まれた。・・・・・社内に同年の若い二人、内藤魯一と岩田徳義がいた。二人は西南戦争の行方を見て、今や明治政府を武力で倒すのは無理だと悟った二人は、愛知・岐阜の自由民権運動を分担して組織していくことになる・・・・
<けやきのブログⅡ>
2015.7.25<戊辰後は自由民権運動そして衆院議員、内藤魯一(福島県・愛知県)>
2016.6.25<福島城主~重原藩主~貴族院議員、板倉勝達(福島県・愛知県)>
2020.8.15<龍馬伝『汗血千里の駒』作者は自由民権家、坂崎紫瀾(高知県)>
三、王政復古という蜃気楼を追って ―― 旗本・坪内高国の生涯
―――軍都に変貌した各務原
・・・・・基地の歴史をひもといて、意外なことに美濃での初期の自由民権運動を率いた元・旗本・坪内一族が、この軍都を建設した“功労者”だという。・・・・・関ヶ原の戦い以来、各務原を支配してきた旗本・坪内氏は、幕末にこの地を砲術演習場とした。その後、陸軍第三師団砲兵演習場にされ、・・・・・(中略)・・・・・そして、米軍の大空襲と敗戦の後、・・・・・アメリカ海兵隊が接収・・・・・1958(昭和33年)、海兵隊は戦争や犯罪などの構造を抱えたまま沖縄・辺野古へと移転していった。・・・・・
直参旗本になった坪内氏 / 将軍を守った宗家と官軍に参じた分家 / 博徒民権運動と「名古屋事件」 / 維新で没落していく高国・・・・・
四、百姓たちの民権一揆 ――素顔の美濃加茂事件
「地租を百分の一にせよ!」 / 伊勢暴動「ドンと突き出す二分五厘」 / 多様だった農民一揆 / 歴史から消された「博徒」運動家 / 「博徒なる自由党員」・・・・・
五、権利幸福きらひな人に自由湯をば飲ましたい ―― オッペケペーと近代演劇の成立
―――日本にデビューした自由民権ラップ
権利幸福きらひな人に 自由湯をば飲ましたい オッペケペ オッペケペッポー ペッポッポー 堅いかみしも、角取れて マンテルヅボンに人力車・・・・・
政治家を選ぶか?役者になるか? / パリ万博で録音された「オッペケペー」 / 貞奴のパフォーマンスに魅了されたヨーロッパ・・・・・
六、とかく世間のさげすみを受けて口惜しき身なりしを ―― 女優・川上貞奴のたたかい
日本初の女優になった貞奴 / はじける貞奴パワー・各務原 / 難産だった「女優・貞奴」の誕生 / 男女両性からなる役者集団を創りたい / 何とかして婦人が独立して生きる方法は / お伽芝居を子どもたちに! / 貞奴の苦境に寄り添う桃介(福澤) / 電源開発に乗り出す桃助のパートナーとして / 「貞奴の早変わり」川上絹布を開業・・・・・
七、わが村を滅ぼした足尾鉱毒事件 ―― 殖産興業・富国強兵への道
―――足鉱毒事件との衝撃的な出会い
「日本海時代の祭典」という集いが年一回、もう五十年近く開かれている。・・・・・経済優先の風潮の中で見失われながちな問題を生活者の目線で見つめてきた。・・・・・七十年に佐渡から始まり、大きなメディアには取り上げられない<地方>を会場に開かれてきた。
たまたま七七年に「水ー旧谷中村の集いー」というテーマで、僕の母の故郷・茨城県古河市で開かれた際、勧められて参加・・・・・テレビのディレクターとして、僕は四日市公害や長良川河口堰問題など公害・環境問題も取材してきていたので、"面白そうだ"というノリで参加・・・・・集いの参考に『谷中からきた人たち 足尾鉱毒移民と田中正造』(新人物往来社)を友人から借りて読み・・・・・途中で文字通り絶句した。
あろうことか、鉱毒事件で廃村にされた悲劇の谷中村の村長・茂呂近助とは、わが曾祖父ではないか?
見覚えのある表紙の写真は、谷中村から移築した古河市の母の実家だった。・・・・・(中略)・・・・・
明治三十三年(1900年)、流域住民による第四次「押出し(デモ)」に対し、川俣で待ち受けた警官隊は「このどん百姓!」とののしりながら棍棒を振りかざし、茂呂村長を含む百人あまりを逮捕し、兇徒聚集罪で裁判にかけた・・・・・谷中村は潰される。
近助は、田中正造の反対を押し切り、貧窮する村民一七戸を率いて、極寒のサロマ開拓に向かう。・・・・・
ルーツの謎解きを始めて / 「正義派か売村派か」という二者択一 / 民衆そのものを欠落させてきた近代史 / 民を殺すは国家を殺すなり / 各地にひろがる労働争議と暴動 / 日清・日露戦争に駆り出されて / ハッカで生き延びた曽祖父たち
八、専制国家と天皇を受け容れた日本人 ―― 文明開化・近代国家の代償
お偉い外国人の活躍 / 続々と西洋に留学生を送って / 犠牲がすくなかった明治革命 / 虫送り、雨乞いも廃止して / 自由民権運動の評価 / 美濃の民権運動は特異だった? 天皇神格化のために全国行脚 / 名実ともに終わった自由民権運動 /「伝統的歴史学」と「新しい歴史学」 /「天皇」や「恋愛」を受け容れた社会 / 「鉱毒に消えた谷中村」が問いかけたこと / "裏切り者" 左部彦次郎の生涯をめぐって / 鉱毒被害者たちの「百年目の再会」 / "失われた歴史"を取り戻すこと
けやきのブログⅡ<2010.7.13 足尾鉱毒事件/左部彦次郎のなぜ?>
<2020.9.5 『左部彦次郎の生涯』足尾銅山鉱毒被害民に寄り添って(群馬県)
<2021.7.24ジャーナリスト松本英子(永井ゑい子)、みどり子>
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『百姓・町人・芸人の明治革命』興味深く、同じ著者の『ドキュメント「みなさまのNHK」ーー公共放送の原点から』(2016現代書館)を図書館で借りてきた。この本は自分が知らなかっただけで、既に読んだ人は多そう。未だの方、いかがでしょう。
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