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2023年9月16日 (土)

碁石・碁盤 & 碁石の地名・植物・ことわざ

                           2024.9.9 毎日新聞
    一力遼本因坊 主要世界戦V(応氏杯) 
   日本勢19年ぶり
  ―――囲碁の国際棋戦「第10回応氏杯世界選手権」五番勝負の第3局が8日、中国・上海で打たれ、一力遼本因坊(27)が謝科九段(24)に黒番中押し勝ちし、3連勝のストレートで初優勝を飾った。主要な世界戦で日本勢が優勝したのは、2005年のLG杯の張う九段以来で19年ぶり。・・・・・(中略)・・・・・一力本因坊は仙台出身で、2010年プロ入り。20年に初の七代タイトルの碁聖を獲得。22年に棋聖、23年に本因坊と天元を獲得して初の3冠となる。・・・・・現在も3冠を堅持。河北新報社の一力雅彦社長の長男で、同社取締役も兼務している。[武内亮]。
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  ―――<囲碁> 最終第7局までもつれ込んだ第78期本因坊決定戦七番勝負。大熱戦を制したのは、一力遼本因坊(26)だった。・・・・・ まれに見る大激戦、名シリーズとなった。相対したのは、12連覇を目差す本因坊文裕(34)=井山裕太九段=と「二刀流」棋士の一力。・・・・・ 一力は、囲碁の棋士であるとともに、新聞記者でもある。・・・・・記者としては、河北新報社(本社・仙台市青葉区)東京支社編集部所属。入社4年目の記者である。・・・・・(毎日新聞2023.8.31)。

  ―――"囲碁一力本因坊 河北新報社員に" 一力本因坊は同社の一力雅彦社長の長男。プロ棋士活動のかたわら、会社経営にも携わる「二刀流」棋士となる。・・・・・現在、本因坊と棋聖、天元の3冠を保持し、日本囲碁界を代表する棋士の一人だ。・・・・・(2024.3.16 毎日新聞)。

 囲碁はサッパリだが、「河北新聞社」の縁で、にわか一力ファンになった。また、一力記者はどんな記事を書くのだろう。読んでみたい。
   けやきのブログⅡ<2014.6.14明治・大正、屈指の地方紙(河北新報)を築き上げた一力健治郞(宮城県)>

 あるとき、テレビに映った対局で碁器いっぱいの碁石が目に入った。それを見、子どもの頃の五目並べ(連珠)、碁石の感触がよみがえった。
 そういえば、碁石は何でできているのだろう。
 碁石と碁盤を見たついでに、碁石のついた地名、諺ほかを見てみた。

     碁 盤
 碁盤の標準寸法:横42cm・縦45cm・厚さ15cm・足高11.5cm。
 碁盤は東西19道で盤面361路       

  ―――材料は第1がカヤ、第2がイチョウ、第3がカツラの木材と3段階をなしている。また*板目を大衆盤とし、柾目を高貴なものとしてたっとんでいる。目盛すべて漆であるが・・・・・熟練した工匠を選ばなければならない。ただし、普通に碁を楽しむためには、紙に線を引いてもよく、セルロイド盤でもプラスチック板でもよい・・・・・(『世界大百科事典』)。
   板目(いため):板の木目がまっすぐでなく波形・山形などをしているもの←→柾目(まさめ)。

     盤師・小山博安―――冴える伝統の技 盤師として50年
   ―――
1931年春日部市赤沼に生まれる。14さいのとき東京西新橋の碁盤屋へ」奉公に入る。以来10有余年にわたり盤づくりの修行を重ねたのちに故郷・春日部に戻り、26歳のときに盤師として独立をした。父親が桐細工職人で、桐箱を碁盤屋に納めていたことがきっかけで家業を継がずに、この道に入った小山さんは碁盤や将棋盤などをつくる盤師である.盤師は全国でも数人しかいないと言われており・・・・・小山さんは材料の仕入れから、乾燥、そして盤面や足の加工、漆で線を引く目盛りまですべての作業を一人でこなす・・・・・(『さいたまグラフ4月号』1998埼玉県広報公社)

     碁 石 
  ―――直径2.2cm。 碁石はこれまで主として円形の石と貝であった。白はハマグリ、シャコ貝などからみがき上げ、黒は那智(なち)石が多く使用された。ガラスに鉛を入れた製品も製造され、現在はセルロイド、プラスチックなどの碁石もできている。・・・・・ 一局用としての碁石は黒が181個、白が180個で、全部並べると盤面がちょうど一杯になる・・・・・ 白色は黒色よりも少し小さく仕上げてある。・・・・・(同上)。

     碁 器
  黒石の碁器の方が、白石の碁器よりも深くえぐって底深くつくられているのが常である・・・・・(同上)
 

     碁石崎(岩手県)
  気仙郡末崎村の東南端にある崎。大船渡湾の入口にあり。一帯は水成岩の層理と」節理が整然とならび、無数の洞穴は随所に発達し、時には間欠的に潮噴く岩あり、或は典型的のトンボロあり、或は汀渚線に五色石の美をそへて散在するありといふ。・・・・・(『日本地名大辞典3』)。

     碁石村(現、氷見市)
  富山県越中国氷見郡の西北部。石川・富山の県境をなす宝達山?の東斜面にありて、氷見町よりは西北およそ七キロに位す。西北より西にかけては、碁石ヶ峰(四六一米)を主峰とする山陵を境とし石川県鹿島郡の久江・御徂村及び羽咋郡邑知(きち)村に接し、東は余川村を隔てて氷見の小平野に出づ。主生業は農業にして米を産し、林産これに次ぐ。交通は氷見より稲積・余川村を経て村内に入り、更に原山峠を越えて七尾街道に通ずる県道による。此地古くは和名抄、射水郡阿努・・・・・に属す。いま味川・上余川・・・・・寺尾の六大字より成り味川に役場を置く。・・・・・(『日本地名大辞典3』)。

     碁石山(香川県北部)
  小豆(しょうず)郡内海町。小豆島(しょうどしま)南東部にある奇峰。434m。坂手港北東2km。カコウ岩の基盤に集塊岩がのり、風化・浸食を受けて奇形をなす。東に播磨灘、西に内海湾を望むハイキングコース。瀬戸内海国立公園・・・・・(『日本地名事典』)。

  碁石金:碁石の形にした金貨。甲州金。

  碁石蛤:チョウセンハマグリのこと。半化石の貝殻から、碁石の白石をつくる。

  碁石豆:大豆の一品種。種子が平たくて黒くて碁石に似たもの。

     ことわざ

  碁に凝ると親の死に目に逢わぬ
    (碁は親の死に目にも逢えぬほどにふけりやすいものである)

  碁に負けたら将棋に勝て
    (一方で失ってもくよくよせず、他方でとり返せというたとえ


   参考: 『世界大百科事典』1972平凡社 / 『日本地名大辞典3』1938日本書房 / 『日本地名辞典』1996三省堂 /  『広辞苑』新村出2022岩波書店 / 国会図書館デジタルコレクション

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