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2023年9月 9日 (土)

金森誠之、内務省技師・工学博士・六郷水門・鉄筋レンガ・サイクロイドミキサー・ダンス・映画

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   <レトロの美・六郷水門 東京都大田区
  ―――六郷水門・・・・・当時の内務省多摩川改修事務所の所長、金森誠之(しげゆき)が考案した耐震性の高い金森式鉄筋れんがが採用されている・・・・・ 約1キロ上流の右岸には金森の設計で1928(昭和3)年に完成した川崎港水門があり・・・・・ 六郷用水は、埋め立てや暗きょとなって多くの部分が地上から姿を消した。一方、六郷水門は堤内地の船だまりと多摩川を結び、当時の姿をとどめている(毎日新聞2022.8.14・須賀川理)。

 記事の「内務省」と「土木工事」が結びつかない。内務省といえば、筆者には勧業行政・治安維持のイメージである。それで内務省の組織図を見ると、土木局・土木出張所があった。地方行政と公共工事がかかわる故か。
 その「今も機能を発揮している六郷水門」を見た事ある? 大田区の友人にメールすると、さっそく六郷水門の写真を送ってくれた。
 次に金森誠之を人名辞典でひいたが見当たらない。しかし、お役人は「官報」(国会図書館デジタルコレクションで見られる)に載るし他もあたると、学問はむろん確かな技術・土木工事に役立つ発明もして社会に貢献、趣味も多彩で前向きな明治人・金本誠之がいた。

 
     金森 誠之   (かなもり しげゆき)

 1892明治25年7月27日、和歌山県有田郡広村、金森義制の次男に生まれる。
 1904明治37年、日露戦争。12歳。 
 1910明治43年~1911明治44年、第三高等学校・和歌山平民。
   明治期の卒業名簿には「士族・平民」の記載あり。

 1915大正4年7月、東京帝国大学工科大学土木学科卒業。 
 1918大正7年5月、26歳。内務省技師
   東京第一第二各土木出張所 兼 横浜土木出張所勤務。利根川改修工事に従事
  ~1921大正10年、多摩川改修事務所 内務省多摩川改修に従事

 1922大正11年、官報に掲載の広告 <サイクロイド ミキサー> 
   手動機界の驚異的発明生る 内務技師工学士・金森誠之氏発明 
  ―――一、サイクロイドカーブを匠に利用したサイクロイドミキサー(手動セメント砂利の混合器?)・・・・・シーソーの遊戯を弄ぶに等しき運転なるを以て愉快に仕事が出来疲労する事なし。一手製造発売元・東京芝三田・佐藤製作所。

 1923大正12年6月、東京土木出張所勤務。
   9月1日、関東大震災
   10月、関東大震災に関し臨時調査方嘱託(震災予防調査会)。

 1924大正13年9月~1925大正14年、多摩川改修事務所主任 兼 多摩川土地収用事務所主任
   当時の多摩川は、大雨がで洪水や氾濫を繰り返し、堤防の決壊や橋が流出するなど被害をもたらすあばれ川で、内務省は多摩川堤防改修工事を行う。
 この計画の一環として川崎河港水門は金森誠之が設計、「金森式鉄筋レンガ」や当時の新しい特許技術であった「まさかり杭」を使用。
   川崎港水門、着工。玉川改修事務所長・内務省土木技師・金森設計
   高さ20.3m 水門巾10.0m 赤煉瓦の土台は金森式鉄筋レンガ

     <鉄筋煉瓦
  ―――日米政府専売特許鉄筋煉瓦。工学士金森誠之氏により・・・・・ 施工上からは、唯一種類の特殊煉瓦を使ふ丈けで全く従来と同じ積み方をなし、挿入すべき鉄筋も最初に建て、置けば自然に鉄筋煉瓦構造となるものであつて、工事を遅延せしめ工費を高ぶらしむる様な事はない。・・・・・ この鉄筋煉瓦に依つては積み上りは全部の完成であつて、竣工期を莫大に迅速にならしむるは勿論、工費に於ても非常な節約となる・・・・・『土木建築資料総覧 第1回』)。
 
 1927昭和2年1月、工学博士。
 1928昭和3年、川崎河港工事。岸壁と水門の工事で、岸壁は平時の荷揚げ、洪水時には多摩川からの避難所となるよう設計。
   川崎港水門:金森が考案した鉄筋煉瓦の水門。建設資金は、一体に工場がある味の素社により寄贈された。
            名古屋市にのこる松重閘門とともに昭和戦前期を代表する貴重な水門という。

 1929昭和4年、神戸土木出張所・横浜土木出張所兼勤。東京土木主張所工務部長。
   海外出張1年。内務省・内務技師金森ほか2名。欧米各国の土木事業を視察。

 1930昭和5~1931昭和6年、多摩川改修所。東京府荏原郡入新井町新井宿1480
   多摩川は山あいの渓谷を縫い武蔵野台地と多摩丘陵の間を流れ東京湾に注ぐ東京最長の川。また、さまざまな恵をもたらす暴れ川でもある。
 1931昭和6年、多摩川・六郷水門「レトロの美・六郷水門」東京大田区)。       
   クラシックな赤れんが造りで、水門の内側は船溜まりになっている。
   機械力に乏しい時代に対応する門扉の開閉にも工夫が見られる。

   金森誠之著『社交ダンス』(その理論と正しい踊り方 山海堂出版部)
   趣味:映画・演劇・音楽(和洋共)・運動(スキー・スケート等)・旅行。
      趣味人として、特に社交ダンスと映画を好み、土木技術者の仕事を社会に認識させる方策として映画に着眼、自ら関わった。

 1934昭和9年、42歳。唯一の建築設計。大田区山王に自ら設計して自宅新築。
   地下一階、地上二階、鉄筋煉瓦構造で創建当時のまま現存。ダンスパーティをしていた。
 1936昭和11年、土木学会常議員。会長・*青山士。

  けやきのブログⅡ<2022.3.5新潟県大河津分水路、青山士技師(パナマ運河建設)>

 1938昭和13年7月、仙台土木出張所長(のち国土交通省東北地方整備局)。仙台市北三番丁54。
   八郎潟の干拓工事計画や、仙塩総合開発計画を提案。
   仙台時代には地元の人々に慕われ、ことに青年層に人望あつく、市長に請われることもあった。

  ―――雪の家、雪の橋「氷雪を御(ぎょ)さう」――それが東北である。内務省関係土木技師たちの合い言葉になつた。仙台土木出張所長金森誠之博士始め・・・・・十三名の技師によつて第一回の「氷雪を御す」会議が青森に開かれ・・・・・金森博士考案の雪橋で数十本の竹を格子様に組合せ縄で結へ川に架けてその上を雪で固く凍結させるもので、早速青森県東津軽郡新城村の巾十条の川に架けてみた。人は勿論、馬車や自動車が走ってもビクともしない。――これは成功であつた。
 更に竹を編んだ小屋を立て降る雪がそのまま屋根となり・・・・・竹材さえあれば手間賃だけで誠に実用的なもので・・・・・橋の少ない農村や、雪中工事の人夫小屋に歓迎され、青森、秋田、岩手等の各地方にはたくさんの雪の橋、雪の家ができているという・・・・・(『雪国 自然と文化』)

 1939昭和14年10月25日、仙台市公会堂にて「仙台地方開発総合計画に就いて」講演。
 1940昭和15年、下関土木出張所長。
 1941昭和16年、仙台土木出張所長。
   一時期名取川改修・釜房堰堤工事事務所長に就任、鉄道技師を兼任。
   8月、下関工事事務所技師・内務技師。
   12月8日、日本軍、ハワイ真珠湾を奇襲攻撃対米英宣戦布告

 1942昭和17年、東北支部防空土木委員会・委員長。内務省退官。
   金森総合土木研究所を創設。
 1944昭和19年、地方港湾修築計画調査。岩手県宮古港・青森県八戸港(金森ほか5名)。
 1945昭和20年、終戦
   三井土木建築総合所長。
   戦後、利根川治水同盟、日本河川協会・副会長などつとめる。

 1946昭和21年、三井建設工業(株)日本橋区室町、取締役。
 1951昭和26年、参議院常任委委員会専門員。*折下吉延・金森誠之

 けやきのブログⅡ<202.9.10神宮外苑イチョウ並木、公園行政の祖・折下吉延

 1959昭和34年8月19日、死去。享年67。
   家族:妻はな、1男5女。実兄・医学博士・金森義雄。
  ―――君は常に先頭を行く人であった。・・・・・発明特許を得た数は100を越すと聞いて居る。・・・・・専門の技術に於ても、趣味に於ても常に人に先じられた。旧慣にとらわれず、不羈奔放、天馬空を行く如くに見へながら、決してつぼを外れず、法を越へず、・・・・・真に畏敬すべき友人であり、希に見る技術界の鬼才であり・・・・・君の開拓された技術は後進を導き・・・・・(金子源一郎)。

   参考: 『大日本博士録 第5巻』1928~1930発展社編・出版 / 『景観デザイン規範事例集、河川・海岸・港湾編』国土技術政策総合研究所資料no.4342008国土技術政策総合研究所 / 『雪国 自然と文化』下高井農林学校編1942信濃毎日新聞社 /  『発明年鑑 昭和16年版』1941帝国発明協会編 / 『土木建築資料総覧 第1回』建築資料研究会1925 / 『日本官界名鑑』昭和15年版・日本官界情報社 / 『土木学会誌』1959金森誠之君を弔う・金子源一郎 / 『河北年鑑s16年版』河北新報社 / 川崎河港水門の歴史(『土木紀行』国登録有形文化財 川崎河港水門)神奈川県川崎市 / 『東京の川と水路を歩く』2012有楽出版社 / 国会図書館デジタルコレクション

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