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2023年12月16日 (土)

『日本近代建築の歴史』村松貞次郎 & 昭和期の建築家・谷口吉郎

 「日本近代建築史入門」を受講した。建築方面というか、どの方面もサッパリだが、「日本近代」にひかれた。
 その2回目は「谷口吉郎・新古典主義と和」で東京国立博物館東洋館などで知られる建築家である。
    谷口吉郎(1904~1979)
   金沢市生まれ。 1928東京帝国大学工学部建築科卒業。 1937慶應義塾幼稚舎 1938ドイツ出張(日本大使館工事のための外務省嘱託) 1943東京工業大学教授 1947藤村記念堂 1956秩父セメント第2工場 1968東京国立博物館東洋館 1974迎賓館和風別館。

 谷口は文章もいいと『雪明かり日記』を紹介されたが、近くの図書館になく『せせらぎ日記』を借りてきた。
 読むと、美術の造詣も深い建築家の記述は素人にも分かりやすく興味深い。
 ところが読みすすむうちナチスが活動する欧州、ドイツ・フランス・イタリアが垣間見え、戦前の日本は枢軸国だったと思い気が重くなった。
 それでもせっかく出会った谷口にしようと資料を探し『日本近代建築の歴史』に出会い一気に読んだ。そして、紹介したいと思った。

 さて、その『日本近代建築の歴史』は内容豊富でそのどれかを選べず、ズルイかも知れないが目次をそのままあげた。言い訳すれば、目次も親切で内容が分かりやすい。
 ところで今、東京の明治神宮外苑の再開発が強い反対論のなかで進んでいる。『日本近代建築の歴史』著者・村松貞次郎(1924~97)が生存していたら、どう思うだろう。
  ―――今日の建築もまた、今日という時代が建てていることになるが、・・・・・ただ機能・合理の打算だけがその混沌を貫いてあるので、古い建物をただ無闇に破壊して、計算に合っただけの建物を惰性的に建てているにすぎない。それが建築の現代だとすれば、あまりにも惨めではないだろうか(村松貞次郎)。 
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     村松貞次郎著 『日本近代建築の歴史』2005岩波現代文庫
Ⅰ 西洋を迎えた棟梁たち
  1 まえがき
    近代建築の金科玉条/ 史観の変化
  2 西欧建築文明の伝来
    西欧への好奇心/ 居留地の街区/ 居留地の建築
  3 擬洋風の棟梁たち
    お上の系譜/ 民の系譜/ そのバイタリティー/ 擬洋風の特徴/ その他の主要な作品
  4 役人技術者の活躍
    彼らの役割と限界/ 開拓使の建築

Ⅱ 滅びぬ民の系譜
  1 土蔵造りの都市
    擬洋風は滅びたか/ 土蔵造りの都市/ 蔵造りの町並/ 土蔵造りの流行
  2 いわゆる"看板建築"
    看板建築の発見/擬洋風は滅びず
  3 欠落していた和風住宅の評価
    二十生活の反映/ 頂点にあった和風建築を見落とす/ 建築教育がそれを無視した/スギもヒノキもわからずに
  
Ⅲ 西洋建築とお雇い外人たち
  1 幕末の軍事技術として
     ――お上の系譜の展開―――
    長崎製鉄所/ 薩摩の集成館 小菅ドッグ
  2 軍艦と生糸
    横須賀製鉄所/ 官営富岡製糸所/ 軍艦から生糸へ
  3 英人技師ウォートルス
    お雇い外国人/ ウォートルスの活躍/ その悲劇/ お雇い外国人の限界
  4 コンドルせんせいのこと
    来日の動機/ 日本人建築家を育てる/ 多彩な作品/ 願ってもない良師/ 日本に骨を埋める

Ⅳ 第二の波
     ――鉄骨・鉄筋コンクリートの導入――
  1 鉄の建築の時代へ
    はじまっていた鉄の時代/ 日本での展開/ おくれた建築の分野/ 鉄骨構造の建築/ 鈍い反応
  2 鉄筋コンクリートの技術
    欧米での展開/ 日本での準備体勢/ 耐火から耐震へ/ 先行した土木分野/ 技術の標準化/ 多様性の圧殺

Ⅴ 日本人建築家の誕生と学習の深化
  1 異端の人びと
    日本人建築家の誕生/ 山口半六/ *妻木頼黄/ 議院建築に賭ける
  2 コンドルの一番弟子たち
    辰野金吾の使命感/ 辰野の作品/ 宮廷建築家片山東熊/ 学習の成果としての赤阪離宮/ 紳士の曾禰達蔵
  3 学習の深化 
    第二世代たち/ 学習の到達点/ 建築家の団体/ 関西の建築家/ 建築教育の普及

Ⅵ 新しい表現を求めて
  1 独自の様式の模索
    臨時建築局/ 三代の仮議事堂 / 帝国議会議事堂へ/ "我国将来の建築様式"問題/ 国会議事堂成る
  2 黎明期の新建築思想
    夜明けの時代の人びと/ 後藤慶二/ 技術と心の相剋/ 建築非芸術論
  3 分離派から工作文化聯盟
    分離派建築会の出発/ 暗い流れ/ 日本工作文化聯盟
  4 戦争への傾斜 
    欧米近代建築思想の反映/ 近代建築の目撃者たち/ 戦争への傾斜/ *踏み絵は踏まれた/ 通過儀礼

Ⅶ 敗戦から高度成長へ
     ――戦後の建築の反映とその影――
  1 敗戦から復興へ(昭和二十年代前半)
    五年ごとの戦後史/ 敗戦の混乱から/ 廃墟に建つ/ 新日本建築家集団(NAU)/ バラ色の機能主義
  2 学習の時代(昭和二十年代後半)
    空白を埋める学習/ めざましい復興/ 近代建築派の復活/ 目立たぬ大きな変革
  3 高度成長への準備(昭和三十年代前半)
    技術革新ブーム/ ミスタータンゲの時代へ/ 木の建物の国でなくなる
  4 高度成長・多様な展開期(昭和三十年代後半)
    国立劇場/ ゆらぎはじめた金科玉条/ オリンピックと新幹線
  5 境い目になった日本万国博
    日本万博/ 都市文明への対応/ ニュータウン

Ⅷ 終章・建築の現在
     ――滅びを語らねばならぬ――
  1 近代建築の規範からの脱却
    今日の状況へ/ 表現の回復/ "建築野郎"たち/ 集合住居の見直し/ 地方性の回復
  2 破壊のなかでの保存の動き
    点から面へ/ 町並保存へ/ 明治建築の調査と保存/ 足で思う大正・昭和戦前の建築/ 急速な破壊と二、三の再利用
  3 法律が壊させる
    ファサード保存/ 東京銀行本店の場合/ 法律が壊させる
  4 建築の現在
    ただ壊して建てるだけの百年/ 大工に及ばぬ建築学/ 東京沈没

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   『日本近代建築の歴史』中の谷口吉郎
 p196
  <踏み絵は踏まれた>―――戦局がおし迫った1942昭和十七年九月三十日〆切で行われた「大東亜建設記念営造計画」は、建築学会主催、情報局後援の・・・・・展覧会行事の一つとして行われた。(審査員は十三名、谷口吉郎もその一人)。
 p206
  <廃墟に建つ>―――谷口吉郎の藤村記念堂(二十二年)などが、戦後日本の近代建築第一号の栄誉を担って登場する。藤村記念堂は木曾街道の馬籠に建った・・・・・とにかく戦前派の近代建築家たちが、まずその実力をもって復活し・・・・・
 p222
 <ミスター・タンゲの時代へ>―――1956昭和三十一年竣工した谷口吉郎らの秩父セメント第二工場や丹下健三の東京都庁舎などの、いわば日本的・弥生文化的造形に、全く対立する厚く・重く、しかも奔放な造形であった。・・・・・

  『日本近代建築の歴史』中の 妻木頼黄
 p126
  <日本人建築家の誕生>―――1879明治十二年、工部大学校造家学科から、コンドルの薫陶をうけた日本人建築家四名がはじめて世に出た。・・・・・1886明治十九年に造家学会が成立・・・・・発起人二十六名のなかに二名の異端者がまじっていた。山口半六と妻木頼黄(よりなか)で、ともに工部大学校の卒業者ではなかった・・・・・
 p130 
  肖像写真と建築作品ほか事蹟、経歴。

 けやきのブログⅡ 2020.9.26 <建築家の明治・巣鴨監獄・横浜正金銀行、妻木頼黄江戸東京)>

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   [ 谷口吉生さん 死去 ]2024.12.21毎日新聞
  建築家 葛西臨海水族園
   ―――東京都葛西臨海水族園をはじめ数多くの建築物を設計し、国際的にも活躍したモダニズムの建築家、谷口吉生さんが16日、肺炎のため死去した。87歳。父は建築家の谷口吉郎。・・・・・ 90年、八角形のガラスドームが特徴の東京都葛西臨海水族園で毎日芸術賞を受賞・・・・・。

   記事を目にして、まだ小学生だった孫と夫が連れだって水族園へ行ったのを思いだした。同じような思い出がある人が居そう。そうしてみると、建築物は人の心の中にも建ちそう。

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