« 山形県の幕末明治 | トップページ | 小説家・ミュージシャン、中島らも »

2024年8月12日 (月)

三太郎峠(赤松太郎峠・左敷太郎峠・津奈木太郎)、西南戦争

 冷房のきいた部屋で2024年パリ・オリンピック中継を愉しんだ。
 災害にも遭わず無事な暮らしだがその一方、「明日はわが身」ということもある。とりあえず目先のこと、ブログ記事何にしようか。手近の旅雑誌をめくると、

  ―――日本初の西洋式馬車道に常緑をそえた赤松街道(北海道亀田郡七飯町)・・・・・札幌本道を基礎とする国道5号。そのうち函館市桔梗町と亀田郡七飯町峠を結ぶ約14・3キロの道の両側に、アカマツなど1400本もの古木が並びます。北国の風雪に耐えてきた力強い枝振りに、天を仰ぎつつ歩きたくなる・・・・・(「ジパング俱楽部」)。

 「赤松」は趣のある樹木、絵にも物語にもいい。それに木じゃないけど友だちの赤松ちゃんもいい。そんなことで、「赤松」を地名辞典でひいてみた。すると、九州熊本に赤松街道ならぬ赤松峠があった。そしてそれは三太郎峠の一つという。
 初めて聞く三太郎峠、何か物語がありそう。とみると、西南戦争で西郷軍が軍議をした峠だった。
 1877明治10年の西南戦争からおよそ150年、今や三太郎峠は車がスイスイ走る良い道になっているとか。

    三太郎峠
     熊本県八代市から葦北郡に掛けて、鹿児島街道(国道3号)上にある三ヶ所の峠の総称。北から赤松太郎峠(高さ138m)・佐敷太郎峠(324m)・津奈木太郎峠(278m)。
   別称、三太郎越え。リアス式の岩石海岸に沿う鹿児島街道の難所として知られていた。今、佐敷太郎峠と津奈木太郎峠間の新国道はカーブの少ない快適なドライブウエイとなっている。

    赤松太郎峠
     熊本県八代(やつしろ)市と葦北(あしきた)郡田浦町(たのうらまち)との境。。鹿児島本線肥後田浦駅北東4km。国道3号(通称・鹿児島街道)が南西部をトンネルで越える。
  ―――薩州海道の、葦北三太郎峠の一にして、その最も北に位するものなり、二見村より田浦に至る山道を云ふ。古くより行通の険所として有名なり。・・・・・(『熊本県史蹟名勝天然記念物概要』)

    佐敷太郎峠
     熊本県芦北郡芦北町と田浦町(たのうらまち)の境の峠。。鹿児島本線佐敷駅北東3km。国道3号(鹿児島街道)・鹿児島本線がトンネルで越える。
  ―――三太郎峠の中、中央にあるものを云ふ。田浦より佐敷町に至る間の坂道なり。峠に近づけば八代湾・天草島俯瞰し、眺望絶佳なり。・・・・・(『熊本県史蹟名勝天然記念物概要』)。

    津奈木太郎峠
     熊本県葦北郡津奈木町(つなぎまち)と湯浦町(ゆのうらまち)の境にある峠。鹿児島本線湯浦駅南西2km。鹿児島街道(国道3号)・鹿児島本線がトンネルで抜ける。
  ―――三太郎峠の一にして最南のものなり、湯浦村より津奈木村の間を云ひ、全長八キロあり、三太郎中の第一なり。・・・・・(『熊本県史蹟名勝天然記念物概要』)。
 
 
     <三太郎峠に賊の諸将群議を凝らす

 怒り猪の焦(はや)り立つたる如き薩摩隼人は、新政厚徳の旗を、海門颪(おろし)の朝風に靡かせ、隊伍整々として鹿児島を出発した。・・・・・ 
・・・・・佐敷の三太郎峠は肥薩の国境風景は至ってよろしいが又甚だ険阻で、而も官軍の死力を尽くして防がねばならぬ所であるから、薩軍は銃に弾丸を込め、剣の鞘を払って進んだが、不思議や一兵の姿さに見えない。「鎮台は腰抜けばかりでおわすわい。この要害を守らん事が有るか。・・・・・ 火の如き闘将桐野利秋は、桟敷太郎の頂上に、四方を睥睨して罵った。・・・・・(中略)・・・・・ 
・・・・・「敵を侮ってはならんぞ。熊本の兵隊とて、藁人形ではない。全軍総掛に攻落さにや、戦争が難儀になろう」と、篠原国幹は大兵を以て一気に攻略する主義である。・・・・・ 
・・・・・桐野は勇を恃むで、鎮台を眼中に置かない。・・・・・戦えば捷()たざる無く、攻むれば取らざる無き一代の闘将は、人を切る事草を薙ぐが如く、巍然たる熊本の銀杏城も、彼の前には張抜きの一夜造とも見えぬので有る。
「兎も角も熊本に出てからにするも、遅うは有るまい」と西郷は諸将の互ひに下るまじき様子を見て、仲裁をするように言つたので、軍議はここに幕を閉ぢ、諸隊は粛々として赤松太郎峠を下つた。
 (南州(西郷)先生の末弟たる)小兵衛は・・・・・
・・・・・我隊へと帰ってきたが、喟然(きぜん)として天を仰いで、思はず数語をもらした。「薩摩武士を心地よく殺す者は桐野じゃや、薩摩武士の一世を誤(あや)まらしむるも桐野じゃ」・・・・・
・・・・・この夜天昏く雲迷うて、北斗破の将星は光芒薄く、力なき輝きを蜀桟の険道に聳ゆる松の梢に投げた。・・・・・(『児玉大将伝』)。

   西郷隆盛:薩摩の下級武士であったが、島津斉彬に登用され、薩長同盟、王政復古、戊辰戦争と倒幕運動に指導的役割を果たす。明治4年、廃藩置県を断行した。陸軍大将。征韓論争に敗れ下野。西南戦争に敗北し、自刃。

   児玉源太郎:陸軍大将。士族の反乱に歴戦。日清戦争では大本営参謀。台湾総督、内相など。日露戦争では満洲軍総参謀長。  

 

     <三太郎峠

 三太郎峠は九州第一の峻険なる道路なり 昔加藤清正の肥後を治むるや此険を以て薩摩の隼人に備へたり 而今日国道は鹿児島より水俣に達する迄は四間幅の新道砥の如く馬車を駆るも差し支えなかるべし 然るに水俣よりは一歩は一歩より険にして行くこと未だ半里ならず 直ぐに来るものを歌坂とす 秀吉 薩摩を伐つ時 此所に至り歌を詠じたるより名くとかや 続きて来る者を 津奈木太郎峠とす 古杉十丈空を覆ひ・・・・・
・・・・・・先頃の大風の為に吹き折られたりとて大木道に横たはり 行歩甚だ難し・・・・・ 之を越っゆれば佐敷駅なり・・・・・
・・・・・峠は三太郎中の老兄なりと称す 羊腸たる峻路はその幅三尺に満たず 両側は老松枝を交えて・・・・・ 
・・・・・此は軍用の樹木にして加藤清正の植へしところのものなり・・・・・(『中外医事新報』)。

 

   参考: 『児玉大将伝』杉山茂丸1918博文館 /  『中外医事新報』日本医史学会編1892-07 / 『熊本県史蹟名勝天然記念物概要』熊本県史蹟名勝天然記念物等調査会1936熊本県 / 『近現代史用語事典』安岡昭男篇1992新人物往来社 / 国会図書館デジタルコレクション

 

|

« 山形県の幕末明治 | トップページ | 小説家・ミュージシャン、中島らも »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 山形県の幕末明治 | トップページ | 小説家・ミュージシャン、中島らも »