三重県の幕末~明治~大正
「この夏は絶対、銚子川に行こうと思ってる。あの透明感は奇跡だ」・・・・・現地を訪ねた。「奇跡の川」は本当だった。(わたしのふるさと便 2024.9.8毎日新聞)
ところで、関東では銚子といえば千葉県、銚子川は聞いたことがない。
『郷土資料事典・三重県』をみたが、紀北町の銚子川は出てない。三重県は古い歴史を誇り、名所旧跡が豊富、城跡や歴史ある建築物も多いから載せてないのかもしれない。
国会図書館デジタルコレクションで検索すると、17年前の「三重県政だより」に思わず笑ってしまう、でもしゃれた銚子川があった。
――― 海、山、川に抱かれた やすらぎのまち トンネルを抜けるとそこはキラキラ輝く海だった・・・。そうです!ここは東紀州の玄関口、紀北町です。町内北部の荷坂峠を下れば、「長島魚まち、漁師まち」。今も変わらぬ潮の香りたっぷりの素朴な町並み散策が、ユニークなマンボウの案内板とともに楽しめます。 また、町内南部にはだれもが驚くほど透きとおった水の銚子川があります。そこは世界遺産に登録された馬越峠の登り口であり、「種まき権兵衛」の発祥の地でもあります。 種まき権兵衛の里の日本庭園にて権兵衛さんをしのび、銚子川にゆられ、馬越峠をゆっくり歩けば本当に心身共にいやされます。みなさまのお越しを心よりお待ちしています。・・・・・(みえ県政だより2007(3月)(272)>ふるさと通信[紀北町]Kihoku Town)。
これもなにかの縁、熊野灘に向かってワシが翼を広げたような三重県をみてみた。
まずは幕末、ペリー来航そして日米和親条約で開国が決定すると佐幕派と尊皇攘夷派との対立が激しくなった。
親藩である桑名藩は佐幕論をとったが、激動する政治情勢のなかで津藩内には勤王派もあったが、現実的な態度は日和見主義的立場をとっていた。
1868慶応4年、鳥羽伏見の戦い。
薩長軍から働きかけがあった津藩は会津・桑名を主力とする幕府軍へ砲撃を加え、幕府軍は総崩れとなる。
1871明治4年、伊勢神宮、明治政府の神道国教化政策で大きく姿をかえる。
伊勢神宮を頂点に全国の神社を官・国幣社・府県社・郷社・村社・無格社などに格付け。神官の世襲制が廃止され、神宮は国営化される。
7月、桑名藩-桑名県 津藩-津県 亀山藩-亀山県 長島藩-長島県 菰野藩-菰野県 神戸藩-神戸県 -→ 安濃津(あのつ)県
久居藩-久居県 鳥羽藩-鳥羽県 度会府-度会(わたらい)県 -→ 度会県
(1876明治9年、県を統廃合。度会県と安濃津県を合して三重県となる)。
1872明治5年、宮崎郷学校(のち語学校、外国語学校)伊勢神宮外宮の近くに地元有志によって創設。外国語学校は久居・松阪・桑名・四日市・津にもあり英学熱が盛んだった。
1876明治9年、伊勢暴動。地租改正反対一揆のうち最大のもの。隣接する愛知・岐阜・堺にまたがる第一揆に発展した。
1878明治11年1月、松本宗一、『伊勢新聞』本格的な地方新聞を創刊。
―――創刊時1200部ほどであったが明治末には2~3万部ほどに発展し、県下随一の地方紙として現在にいたっている。とまれ、伊勢新聞は、創刊以来、紙名の変更ない点において、全国唯一の新聞・・・・・それだけでも三重の貴重な文化的存在といえよう・・・・・(『三重県』)
1879明治12年、三重県では最初の県会議員(50人)選挙が行われた。
1880明治13年、県立津中学校創立。
1882明治15年、三重製茶会社設立。川島紡績所開設。
1883明治16年、稲葉三右衛門ら、四日市・関ヶ原間の鉄道敷設を請願。
1886明治19年、三重紡績株式会社発足。二年後、四日市港の近くに工場を建設。
1888明治21年2月、北海道の名付け親・松浦武四郎死去。享年70。
松浦武四郎:1818文政1年、一志郡三雲村の参宮街道に面する家で生まれる。
1889明治22年2月、大日本帝国憲法(明治憲法)発布、祝賀会開催。
三重県の米は江戸時代から篤農家たちにより品種改良が行われ、質の良い伊勢米として知られていたが、古市与一郎が化学的な総合稲作法「与一流稲作法」を生み出した。
1890明治23年、伊勢新聞、第1回衆議院選挙公報発行。
12月、関西鉄道、四日市~草津。翌年、亀山~一身田、営業開始。
1891明治24年10月28日、濃尾大地震、県下に大被害。
全壊焼失14万2177戸、死者7273人。
1893明治26年6月、御木本幸吉、試験中の真珠貝から貝付半円真珠五個を取り出すことに成功。これを機に10月、英虞郡鵜方村田徳島(多徳島)に御木本真珠養殖場を建設。
1894明治27年8月、日清戦争開始。
この年、津市に津電灯会社、四日市に北勢電気会社設立。
1897明治30年8月、四日市に市制施行。
9月、県下に郡制施行。
10月、参宮鉄道(津 ~山田間)全通。
1899明治32年、県立中学校、富田・上野・宇治山田に開設。
四日市港、開港場(貿易港)に指定。
1902明治35年4月、松坂町に松阪町に県立工業高校創立。
愛国婦人会県支部創設。奥村五百子により創設された皇室中心の上流婦人団体。
1903明治36年8月、宮川電気鉄道(山田~二見)開通。
1904明治37年2月、日露戦争はじまる。
久居町に県立農学校創立。
1906明治39年3月、鉄道国有化法成立。
9月、宇治山田に市制施行。
1907明治40年10月、関西線・参宮線国有化。
1908明治41年11月、大日本軌道会社の軽便鉄道開通。
11月、歩兵五十一連隊、久居町に駐営。
1909明治42年10月、三重県斯民(しみん)会発会式。
191043年5月、神島に灯台設置。
1913大正2年、県下に第一次護憲運動広がる。
12月、四日市米穀取引所開設。
1914大正3年12月、安濃鉄道開通(新町-椋本)開通。
三重紡績と大阪紡績が合併、東洋紡績株式会社(東洋紡)創立。
1915大正4年9月、伊勢電鉄(高田本山-白子)開通。
1918大正7年8月、歩兵第五十一連隊シベリア出兵。戦争があればに諸物価が騰貴。
8月、県下8市町村で米騒動おきる。
―――直接の原因が、米価の暴騰・・・・・その背景の一つに、前年の米作が減収・・・・・三重県だけでも七万九三一五石減収のため、不足が懸念されていた。ところが、政府は、地主層を中心とする米作農家の保護をはかるために「米穀輸入関税」を設け、さらに「台湾米代用禁止」「朝鮮米の取扱改正」などによって外米の輸入を制限・・・・・(『三重県の百年』)。
11月、鳥羽造船所で争議。
1920大正9年9月、県下に暴風雨の被害。
1921大正10年4月、陸軍航空学校明野分校開設。
9月、県下に暴風雨の被害。
10月、飯南郡鈴止村などで小作争議、小作料減額実現。
1922大正11年4月、三重県水平社結成。
7月、伊賀鉄道(上野~名張)開通。
1923大正12年2月、日本農民組合松阪支部結成。
4月、郡制廃止。
1924大正13年3月、紀勢東線(相可口-栃原)開業。
4月、伊勢鉄道(部田-津新地、津新地-高田本山)開通。
1925大正14年4月、歩兵第五十一連隊解隊。5月、歩兵第三十三連隊、久居に設置。
5月、松阪で県下初のメーデー。日本初のメーデーは5年前の大正9年、東京。
1927昭和2年10月、県下初の普通選挙、県会議員選挙。
参考:『三重県の百年』1993山川出版社 / 『郷土資料事典 三重県』1997人文社 / 『三重県の歴史』三重県社会科教育研究会1980光文書院 / 『三重県の歴史』2000山川出版社 / 『三重県』1983昌平社 / 『日本人名事典』1993三省堂
| 固定リンク
コメント