遼遠に翔ぶ『一力遼打ち碁集』
五目並べ、挟み将棋などで碁石や駒に触ったことはあるけど、囲碁も将棋もさっぱりわからない。それでも観戦記、勝負をめぐる話や棋士のエピソードなど興味深い。
ところで、囲碁の石はみな平等の価値しかなく、着手して、周囲の石との組み合わせが生まれることによって、はじめて「役割を与えられる」のだという。
けやきのブログⅡ<2023.9.16碁石・碁盤 & 碁石の地名・植物・ことわざ>
けやきのブログⅡ<2011.8.4 がんばろう東北!こども&柴四朗ら明治人の囲碁>
けやきのブログⅡ<2014.6.14、明治・大正、屈指の地方紙(河北新報)を築き上げた一力健治郞(宮城県)>
この記事を書いた2014平成26年。二刀流棋士・一力遼四段は張栩九段と対局、39期棋聖戦最終予選・決勝に勝利して16歳でリーグ入りを果たした。
ちなみに、一力遼は河北新報創業者・一力健治郎の曾孫。
二刀流とは棋士と河北新報の記者でもあるからで河北新報にコラム【一力遼の一碁一会】連載中。
『遼遠に翔ぶ 一力遼打ち碁集』(一力遼・品田渓著2024マイナビ出版)
遼遠(りょうえん)に翔ぶの意は、身体は碁盤42×45cmの前にいるが、心は「創造を絶するほど遙か彼方を目指す」意味のよう。だが、碁の素養がある人にはもっと深い意味があるのかもしれない。たとえば、盤上の世界の広がりとか。
ともあれ「遼遠」に惹かれたのと河北新報をブログに書いた縁で「遼神」こと一力遼に興味をもった。
<新時代の一手 常識を変える若き棋士>NHKクローズアップ現代
2024.11.11 「若き棋士の“改革力” 伝統のその先へ」という番組を見た。一力遼棋士は クールなイメージとは別に、碁に対する情熱と日本の碁界の発展に力を尽くす姿勢に感動した。
そして、ふと、遼遠は空の彼方ではなく、盤上の世界なのかも知れない。そう思った。
それにしてもブログに取り上げたその日に若き棋士の番組を見られるなんて、嬉しい偶然にびっくり。
一力 遼
棋聖・名人・天元・ 本因坊、段位・九段
1997平成9年6月10日、宮城県仙台市で生まれる。
2002平成14年、5歳。河北新報社社主で有段者だった祖父・一力一夫の手ほどきで囲碁を覚える。
数字に興味を持ちカレンダーと電卓を持ち歩いていた。
6~8歳。地元の国際囲碁大学囲碁教室に通い、大沢伸一郎など地元のアマチュア強豪からも指導をうける。
2005平成17年、日本棋院東京本院の院生となり、週末の研修に出席するため仙台から上京していた。
2008平成20年、「もっと碁を学びたい」と母と共に都内に転居。
2010平成22年、東京都立白鷗高校付属中学校入学。
1年時、夏季棋士採用で院生順位1位で入段、プロ入り。師匠は宋光復九段。
2012平成24年、15歳。二段昇段。中野杯U20選手権優勝。
2013平成25年、16歳。おかげ杯優勝。
広島アルミ杯・若鯉戦優勝。
8月、阿含・桐山杯準決勝進出。
9月、16歳3カ月で第52期十段戦本戦入り(十段戦本戦入り最年少記録)。
11月、文藝春秋の「人材はここにいる」囲碁界から一人選出。
2014平成26年、棋聖戦リーグ入り(16歳9ヶ月、史上最年少)、七段昇段。
おかげ杯連覇。新人王戦優勝。
第一回グロスビー杯世界囲碁U-20優勝。
韓国の羅玄、中国の連笑といった次世代最強と目される棋士を立て続けに下し、決勝で日本の許家元(台湾出身)を破り、国際棋戦優勝を飾った。
―――遼神誕生・・・・・日本が国際戦で勝てなくなって久しい・・・・・10年前も状況は今と大差なかった・・・・・日本碁界全体が焦燥感と諦めの狭間にあった。グロスビー杯はそのような状況を打破する一助にと、グロスビー経営大学院の学長、堀義人氏が創設した若手国際棋戦だ。井山裕太に続くエースを育て、日本全体が世界で戦えるように。・・・・・一力はグループリーグを抜けると本戦トーナメントで韓国の羅玄、中国の連笑を撃破し、反対の山で中国選手に連勝した許家元との決勝戦を迎えた。「許さんとの決勝はうれしかった」と一力。日本勢同士の決勝戦を制して手に入れた優勝の輝きはまさに希望の星だった。・・・・・(『一力遼打ち碁集』)。
2016平成28年、18歳。早稲田大学社会科学部入学。
おかげ杯優勝 ・ 竜星戦優勝 ・ 初の公式戦広島アルミ杯若鯉戦優勝。
2017年、中国の団体戦「中国囲棋甲級リーグ戦」重慶チームのメンバーとして参加。
2018平成30年、棋聖戦、井山裕太棋聖に0勝4敗。
昨年から王座戦・天元戦・棋聖戦と続いた対井山の挑戦手合は10連敗と完敗。
竜星戦、阿含・桐山に優勝。
王座戦、井山王座に挑戦、2勝3敗。
TV番組、情熱大陸「ハタチの情熱」で特集。
2019平成31年/令和元年、NHK杯優勝。竜星戦優勝。
一方で、七大タイトルにおいては碁聖戦にて挑戦者決定戦に進出するも羽根直樹九段に敗れるなど、2015年以来の挑戦手合出場なしに終わったが、棋道賞勝率第1位賞及び連勝賞を受賞。
2020令和2年、早稲田大学卒業。河北新報社入社。
棋聖戦、羽根直樹碁聖に挑戦しタイトル奪取(3勝0敗)。
竜星戦、優勝。
天元戦、井山天元に挑戦、タイトル奪取(3勝2敗)。
2021令和3年、NHK杯優勝。しかし再び無冠となる。
碁聖戦、井山棋聖の挑戦を受け失冠(2勝3敗)。
名人戦、井山名人に挑戦(3勝4敗)。
天元戦、関航太郎七段の挑戦を受け失冠(1勝3敗)。
2022令和4年、NHK杯優勝。
囲碁界最高位の棋聖戦、井山棋聖に挑戦しタイトル奪取(4勝3敗)。
本因坊戦、本因坊文裕(=井山)に挑戦するも退けられる(0勝4敗)。
棋聖戦、井山碁聖に挑戦するも退けられる(0勝3敗)。
2023令和5年、棋聖戦、芝野虎丸名人の挑戦を受けタイトル初防衛(4勝2敗)。
本因坊戦、本因坊文裕(=井山)に挑戦しタイトル奪取(4勝3敗)。本因坊初獲得。
碁聖戦、井山碁聖に挑戦(0勝3敗)。
アジア競技大会・男子個人戦4位・男子団体戦3位。
天元戦、関航太郎天元に挑戦しタイトル奪取(3勝1敗)。
2024令和6年、NHK杯優勝。
棋聖戦、井山王座の挑戦を受け自身初の3連覇(4勝3敗)。
―――何一つとして欠けたところのない万能の人、という印象を「一力遼」に対して持つ方は多いと思う。七大タイトル最高位の棋聖であり、河北新報社の創業家の長男。・・・・・ 立ち居振る舞いはそつがなく、人柄も爽やかだ。類いまれな資質でもって、軽やかに偉業を成し遂げている。そんな風に見える。 しかし、棋士としての一力は「軽やか」とは真逆の、むしろ「泥臭さ」や「苦悩」をまとった人でもある。大きな壁に真正面からぶつかり、落ち込み、自分の不甲斐なさに無き、迷い、それでも自分を鼓舞して何とか立ち直り、再び大きな壁に立ち向かう。そういうプロセスを永遠とくり返してきた。・・・・・ 一力は碁に邁進した。碁は一力に上品な御曹司のままでいることを許さなかった。何もかも揃っている環境だからこそ、一力からは、「碁を打たずにはいられない」という渇望を感じる。・・・・・(後略)・・・・・2024年6月 品田渓(『一力遼打ち碁集』「おわりに」)。
9月、応氏杯世界選手権、初優勝。
一力遼の一碁一会「応氏杯 応援を背に頂点つかむ」2024.9.19
中国で行われた国際棋戦・応氏杯では準決勝三番勝負で柯潔九段に逆転で決勝進出。
決勝5番勝負、中国のトップ棋士に3連勝し日本勢初優勝。張栩九段以来の快挙、日本勢として19年ぶりに世界一に輝いた。
11月、第49期名人戦七番勝負。芝野虎丸名人に4勝2敗、名人を奪取。
一力新名人(27)は名人初獲得で、本因坊、棋聖、天元と合わせて4冠となった。
7大タイトルは4冠の一力名人と3冠の井山裕太王座(35)の二人が持ち合う形となった。・・・・・(2024.11.1毎日新聞)
【囲碁名人戦 一力が奪取】4冠に(毎日新聞2024.11.1)
―――囲碁の第49期名人戦七番勝負(朝日新聞主催)の第6局が柴野虎丸名人30、31日の両日、千葉県木更津市で打たれ、一力本因坊(27)が柴野虎丸名人(24)に236手で白番6目半勝ちし、4勝2敗で名人を奪取した。・・・・・ 一力新名人は2020年に初の7大タイトルの碁聖を獲得。22年に棋聖、23年に本因坊と天元を獲得して3冠となった。
『遼遠に翔ぶ 一力遼碁打ち集』「はじめに」より。
―――私が碁を打ち続けているのは、より強い相手に勝ちたい、もっと碁を解りたいという自分自身の欲求によるものが大きいです。これまで公式手合では約750局、練習対局も含めれば何千局と打ってきましたが、それでも毎局新しい発見があり、碁盤の広さを痛感します。
音楽や絵画のような芸術とは違い、碁は観るだけではその深さや広さを体感することはできません。それでも、私が経験した碁盤の広さを皆さまにも感じてほしいし、発見したことを共有したいと思いました。今回取り上げた棋譜はどれも私にとって思いで深い、大切な一局です。目まぐるしく変わる戦況、遠く離れたところで関連してくる石、数十手先で現れる意外な手筋。真剣勝負の中で見えてくる景色は何年経っても新鮮で興味がつきません。そうした感動が皆さまに伝わることを願っています。・・・・・(後略)。 2024年6月 一力遼
~~ ~~ ~~ ~~ ~~ ~~ ~~
2024年11月
一力天元が防衛
以後の第50期天元戦五番勝負(新聞三社連合主催)の第4局が28日兵庫県洲本市で打たれ、一力遼天元(27)が芝野虎丸九段(25)に123手で黒番中押し勝ちし、対戦成績3勝1敗でタイトルを防衛した。
| 固定リンク
コメント