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2025年11月10日 (月)

挿絵で有名な石井鶴三は画家・彫刻家・版画家、父・石井鼎湖は日本画家、兄・石井柏亭もまた画家・詩人

 「中井けやき」は、好きな作家・中島敦と中里介山の「中」、井上ひさしの「井」そして欅樹からなる。
 活字中毒が好きなものを集めてペンネームにしたのに、いつしか活字中毒は消えかけてる。これはまずい。元にもどろう。
 そこで、何回読み返しても飽きない かの中里介山著『大菩薩峠』をまた読むことにした。なんといっても我が家の本棚には文庫本27巻、単行本10冊の『大菩薩峠』が並んでいる。
 『大菩薩峠』との出会いは中学の図書室、単行本20巻が並んでいた。中学生には難しかったがひたすら読んだ。そして社会人になると文庫本27巻買いそろえた。
 大事にしていたのに夫が病気の友人に5冊貸して戻ってこない。やむなく新しく買ったけど、その5冊には挿絵がない。大切な本は貸さない方がいい。
 さて、「大菩薩峠」の挿絵といえば、なんといっても石井鶴三が有名で好評であった。
 ところが、大長編ゆえなのか、以下のように何人もの画家が携っている。

   石井鶴三:怪童(米友)・怪童入浴・伝馬町の旗本・神尾主膳と愛妾お絹 / 小林古径:机龍之介 / 野口昴明:水車小屋での龍之介とお浜 / 岸田劉生:清澄の茂太郎 / 中村岳陵:宇都木兵馬 / 代田収一: 医師道庵 / 河野通勢:お松と兵馬 / 伊東深水:龍之介とお銀様・勿来の巻 / 井川洗崖:お豊 / 鳥居言人:「大菩薩峠」絵看板 /  木村武山:ムク / 矢野橋村:恐山の巻
 ちなみに、挿画「大菩薩峠」は横山大観

 その理由が著者・介山の意向なのか出版事情か、気になっていた。
 何より、石井鶴三の挿絵は好評だったのに変更理由が気になる。石井鶴三の生涯を見つつその辺も見てみたい。
 と、その前に簡単に鶴三の父と兄を紹介。

   父: 石井 鼎湖 (ていこ)
   明治時代の画家。
   日本画を父・鈴木鷲湖に学ぶ陶工・三浦乾也の養子となり、のち石井家を継ぐ。
   大蔵省に出仕、紙幣寮で石版・銅版の技術を学んだ。

   兄: 石井 柏亭 (はくてい)
   明治・大正・昭和期の洋画家。
   父に日本画を学び、のち浅井忠について洋画に転じる。
 1914大正3年、有島生馬らと二科会を創立。
   代表作、「ドイツの女」 「パリの宿にて」がある。
   また、安井曾太郎らと一水会を結成。淡泊軽快な日本画的画風で知られた。
   文筆にも秀で「日本絵画三大志」「浅井忠」がある。

 

     石井  鶴三    (いしい つるぞう)
 
1887明治20年、東京。石井鼎湖(ていこ)の三男に生まれる。
 1910明治43年3月、東京美術学校彫刻選科、卒業。東京府板橋町字中丸266。
   初期、文展時代から彫刻を出品。
   再興院展彫刻部

 1916大正5年、日本美術院同人に推される。
   深い自然観照に根ざした、技巧をおさえた堅実味のある作風は、一貫してその作品にあきらかといわれる。
 1918大正7年、創作版画協会、創立に参加。この方面でも活躍した。
   ?年、  洋画を 初期二科展や日本美術院に出品。
 1923大正12年、装幀・里見弴『桐畑』
 1924大正13年、春陽会会員。 日本水彩画会会員。

 1934昭和9年7月、『石井鶴三挿絵集』第一巻、刊行。
   ---「無明の巻」さし絵。盲目の法師弁信を斬ろうとせまる龍之介。集中の傑作として注目された。………(中略)……… 『大菩薩峠』の執筆と発表は昭和三年………大毎・東日と関係をたったので………すぐれた挿絵を描いて興趣をそえた石井鶴三が、それを『石井鶴三挿絵集』として刊行し、介山は挿絵の著作権問題について争い、創作と挿絵の関係をめぐって、一石を投じた。………(『中里介山』)。

 1935昭和10年、
   ---法廷にまで持出されて新聞紙上を賑はせた。『大菩薩峠』の挿絵画家たる石井が、『大菩薩峠挿絵集』の展覧会を開いたり、これを出版したりしたために、小説の作者たる中里介山がこれに抗議を提出した。理由は、この挿絵の考証や示唆は小説の作者ga与えたものであり、従つてそれについての権利は小説の作者にあるといふのである。法廷においては一時和解が成立したが、石井の方で更にそれを拒絶したとも伝へられてゐる。………(『改造年鑑』1935年版)

   ---この小説の挿絵を描いて有名になった石井鶴三の筆は非凡である。素人の僕にはわからないが、石井の油絵なんかは、一向つまらぬものだ。それがあの挿絵になると、素晴らしい躍動さを覚える。ああ云ふ絵を描かせたら当代天下一だらう。………形を成さないやうな簡素な線描で、それで活殺自在なんだからゑらい。幾らあとから真似をする画家があつても、石井にはおよばぬ。………どこかの展覧会で、石井の挿絵の版下を見たことがある。机龍之介が白衣を着て静座し、眼を閉じて剣を撫して居るところであつた。僅かな線描で、鬼気人に迫るの思ひがした。 正札を見たら十五円かだつた。和紙一尺に七寸位の大きさのものがつたが、僕のふところ十五円は張めなかつた。今でも残念に思つて夢に見る。………(『台湾方言』)。

 1924昭和13年春陽会会員、 日本水彩画会会員
 1927昭和16年、以下、上司孤剣著『余裕』(東洋書館)より。
   ---挿絵は石井鶴三氏で、西洋画の挿絵をあんなに努力して描かれた………ある場面に芝増上寺の山門の景がでた。スルと一読者から、山門の形が違ってゐるといふ投書がきたので、それを石井氏に見せると、氏はにやり一笑し、『違ってゐるなら山門の方を造りかえたらいい……』と言つた。芸術家或は詩人としての見識は、これでなければならぬと、私は昔の能因法師を思ひ出したのであつた。………。

   東京芸大教授
   芸術院会員

 1973昭和48年、死去。享年86。
   随筆集『凸凹」おばけ』 『春陽会随筆五人』(共著) 『石井鶴三素描集』
   「石井鶴三全集」全12巻。

 

     参考: 新潮日本文学アルバム『中里介山』1994新潮社 / 『現代日本文学大事典』1965明治書院 / 『余裕』上司小剣1941東洋書館 /  『日本人名事典』1993三省堂 / 『大菩薩峠』1964・1981角川書店 / 『台湾方言』宮川次郎1934蓬莱書院 / 『改造年鑑 1935版』改造社 / 国会図書館デジタルコレクション

 

 

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