大正期を中心に童謡、民謡(歌謡曲)の分野で活躍した野口雨情
もう十二月、ということはもうじきお正月!
なにか気ぜわしい。でもノンキ者の日常は変わらない。日が暮れれば夕飯、何作ろう?
人によっては面倒な食事作りも料理好きは苦にならない。でも、掃除はサボりがち。
前は仲良くなると、すぐ「家来る?」と誘ったけど今はお掃除面倒で声かけない。
そう言うとお掃除好きの亡母に「今はじゃなく昔からでしょ」といわれそう。
母は私の夫に会うと「○子、ちゃんと掃除してる?」 夫「え、まあ~」。
その母は家事をしつつ、♫美しき天然 ♫愛染かつら とかよく口ずさんでいた。
身贔屓になるが母の歌声は透き通り上手だった。懐メロでそれが流れると懐かしい。逢いたいな。
父が寝たきりになった時、母は毎日病院通い。そして同室の患者さんの面倒も看たから? 規則で一旦退院するも直に再入院できた。
母は入退院繰り返す父に4年付き添った。
ある年。母の気分転換を思って妹を誘い、母娘三人旅を計画した。
そしてそれは母の為を思ってであったが、情けは人のためならず。自分もとっても愉しかった。
何回目の母娘三人旅だったかな。
次はいつ、どこ? そのとき私は「う~ん」と生返事。
そしてそれっきり母娘旅は終わってしまった。その母も妹も、もう居ない・・・・・・。
あれやこれや想い出しつつ雨戸を閉めかけた手を休め、空を見上げると、まん丸お月様きれい。
手をとめて、満月をみあげる空耳に母の歌声が ♫十五夜お月さん~~ 詞もメロディーも優しい。
自分もよく唄ったけど、しみじみ過ぎてちょっと淋しい。
歌詞をみつつ作詞者・野口雨情の生涯を見てみよう。
十五夜 (野口雨情)
十五夜 お月さん ご機嫌さん
婆ヤは お暇 とりました
十五夜 お月さん 妹は
田舎へ貰られて ゆきました
十五夜 お月さん も一度 わたしは
母さんに 逢ひたいな
野口 雨情 (のぐち うじょう)
1882明治15年12月29日、茨城県多賀郡磯原(北茨城市)で生まれる。
本名・英吉。
1897明治30年、上京。
東京中学
東京専門学校英文科(早稲田大学)
1904明治37年8月、中退、帰郷。
結婚。
この頃から民謡、俳句を作りはじめる。
1905明治38年3月、創作民謡集『枯草』(知新堂刊)自費出版。
民謡詩人として出発。
1906明治39年、上京。
坪内逍遙の世話で職に就く。
この年、樺太に赴いているが、日露の国境線確定の作業をする劃境委員にくわわったとみられる。
1907明治40年3月、月刊パンフレット詩集『朝花夜花』、第三編まで発行して廃刊。
北海道に渡り、札幌の北鳴新聞の社会部記者となる。
石川啄木と出会い、ともにやがて『小樽日報』ではたらく。
主筆、排斥運動を起こしてクビになり、道内各地の新聞社を転々とする。
1908明治41年3月、相馬御風・三木露風・小川未明らによる「早稲田詩社」に参加。
1909明治42年夏、上京。牛込区千駄木町(新宿区)に住む。
1910明治43年、本郷区千駄木町(千代田区)に移り、麹町区有楽町の有楽社につとめ、明治42年創刊の写真雑誌『グラヒック』の編集にあたる。
雨情の署名入り執筆記事「諸国盆踊歌」は、
---其国々によつて踊り振りや、唄の文句、唄の節回しなどが皆な違つてゐて、能く其土地の人情風俗をうがつてゐる。多くの唄の中には漢詩でも和歌でも乃至は俳句の文書でも言ひ盡すことの出来ぬ人情の機微や、土地の習慣、土地の名所伝説などが、僅か二十七音中に美しく巧みに言へ盡されてある。(中略)英、仏、独、露の各国を始め欧州諸外国では、俗謡は其国の国民詩として非常に珍重されてゐる。之に反して我国では、俗謡を口にすると如何にも人格が下劣のやうに思はれてゐる。(後略)・・・・・・(人と文学 野口雨情・金子美佳)。
1911明治44年、生活不如意のため帰郷。
中央詩壇から遠ざかって山林の仕事、農事、公共事業などに携る。
数年間文学的空白期が続き、この間、前夫人を離別。
1918大正7年、水戸で第二の結婚生活に入り、創作活動を復活、民謡作品を生む。
この年、鈴木三重吉主宰、児童文芸雑誌『赤い鳥』創刊。
1919大正8年、詩集『都会と田園』自費出版。
全編民謡調の詩であるが、童謡風のものの芽生えもみられる。
上京して『金の船』(児童文学雑誌)に創作童謡を発表し、投稿童謡の選者となる。
---『赤い鳥』によりなされた北原白秋の童謡運動にうながされた形であるが、彼にはすでにその民謡体歌謡のなかに田園的素朴性をもった童謡風のものがあったので、その創作童謡は『赤い鳥』における白秋・西条八十らの都会的、近代詩風な童謡とは趣を異にしていたために一種の対立を示した・・・・・・(『現代日本文学大事典』)。
1921大正10年、民謡集『別後』 民謡を野のものにしたいという念願を活かしたもので、土に立ち、労働に生きる民衆の声を伝えた趣がある。野趣の豊は見られるが、民衆への同情的感傷がいささか過多である・・・・・・(『現代日本文学大事典』)。
童謡集『十五夜お月さん』刊行--- 農村に取材した民謡的要素の豊かな作品で、北原白秋や西条八十の童謡と異質を示している(同前)。
民謡詩人、童謡詩人として広く知られるようになった。
それらは作曲されて、」全国的にうたわれるようになり、作曲家・演奏家らとともに講演・演奏の旅にでるようになった。
1934昭和9年、52歳。満州各地を旅行する。
1937昭和12年、朝鮮各地を旅行する。
1940昭和15年、夏、北海道を旅行。
9月、満州へ講演演奏旅行に行く。
1943昭和18年、61歳。
2月、『朝おき雀』を出版。この月に発病。
5月~6月、妻つるの付き添いのもと、山陰地方を、秋には四国地方を旅行、これが最後の旅となる。
1945昭和20年1月27日、自宅にて死去。 享年63。
北茨城市磯原の野口家墓地に分骨埋葬。のち、東京都小平霊園に埋葬。
参考: 『民間学事典』1997三省堂 / 『現代日本文学大辞典』1965明治書院 / 人と文学『野口雨情』金子未佳2013勉誠出版
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