« 白鳥は悲しからずや海の青空の青にも染まずただよふ 若山牧水 | トップページ | 明治の郵便あれこれ & 前島密(まえじま ひそか) »

2025年12月29日 (月)

『清冽』 詩人茨木のりこの肖像

 アクセスありがとうございます。 今年もよろしくお願いたします。 

 昨年末、といってもつい先だってのこと。
 買い換え三ヶ月のパソコン電源が入らない。うわ~困った。
  差し迫ったブログ更新は無論、年賀状の作成、印刷もできない。
 この春、新社会人になった孫にメールして来てもらったけど、ダメ。 
 しかたなく電気店にパソコンを持参、メーカーに電話してもらって修理を頼んだ。
 その三日後、復旧したパソコンが戻ってきた。何がどうだったのかさっぱり判らないが、使えるようになったから、いいか。
 それにしても便利な器具ほど不便と隣り合わせ。故障するとどうしようもない。
 そこへいくと本はいつだって開いたページに戻れていい。
 とまあここで知識不足を嘆いてもしょうがない。それより「ブログ更新、題材どうしよう」 焦っていると新聞の図書紹介『清冽 詩人茨木のり子の肖像』が目に入り、図書館で借りた。
 そして一気に読んで感動・・・・・・ 伝記をこんな風に書けたらいいな。『清冽』に出会えてよかった。
 あらためて、茨木のり子! 好きだなぁ~。

 そして思い浮かぶまま、昔おぼえた詩を暗唱するうち思い出した。
 以前、毎月発行されていた「図書館便り」に10年近く、本の紹介を寄稿していたのを思い出した。
 茨木のり子もね。

 現在、市の図書館便りは中央館のみの発行だが、前は市内各館で発行していた。
 その頃、毎日のように図書館通い、館長をはじめ館員の皆さんと仲良くなった。
 そのうち、いつしか地域の見学会、懇談会のテープ起こしなどボランティアもどき、いろいろ手伝うようになった。
 しかし今では図書館もスーパーのセルフレジよろしく、本の予約や貸借も機械的になった。それでなのか、人が代わったせいか、お手伝い無用になっている。
 自宅のパソコンで検索・予約できるなど何かと便利になったけど、関係者以外お出入り無用の感がある。
 でもまあ、どういう風でも図書館はありがたい。
 “けやきのブログⅡ” で何かとお世話になっている。
 ちなみに、「茨木のり子詩集」は以前寄稿したもので、書き出しの幼稚園児たちは既に社会人である。

      『茨木のり子詩集 見えない配達夫』( 童 話 屋 )

 幼稚園児の孫二人、何やら言いながら歩き回っている。
 「ややこしや ややこしや」かと思うと、汚れっちまった哀(かな)しみに今日も小雪の降りかかる」 
むじゃきに暗誦(あんしょう)してる。
 なんで5歳児が中原中也?
 と思ったらNHKテレビ[にほんごであそぼ]で覚えたよう。

  ややこしいとか悲しいとかは無縁(むえん)の (残念ながら、そうと言えない現実もあるけど)幼子もやがて大人になります。
 大人になって社会にはねとばされ、傷つき、「汚れっちまった哀しみに」と涙でつぶやく、どの子にもそんな日は来ないよう願います。
 ただ、世間には物心両面の不均衡(ふきんこう)はままある。
 もし、つらかったら溜息(ためいき)ひとつ、うつむいた目の先に一編の詩があれば、癒(いや)され、心が心がうるおい、回復する力を得るでしょう。
 詩をよむと無事に過ごしている人も、何気ない日常を味わう心、感じる心が深まりそう。
 詩の内容や形はさまざま、現代詩には批評、風刺がこめられたものが多いです。
 しかし、詩の凄(すご)さは批判や主張が行間にあっても “みずみずしい”ところでしょうか。
 【茨木のり子詩集】声に出して読んでみませんか。 

     *  *  *  *  *  *  *  *  

 

      わたしが一番きれいだったとき

   わたしが一番きれいだったとき
   街々はがらがら崩れていって
   とんでもないところから
   青空なんかが見えたりした

   わたしが一番きれいだったとき
   まわりの人達が沢山死んだ
   工場で 海で 名もない島で
   わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

   わたしが一番きれいだったとき
   だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
   男たちは挙手の礼しか知らなくて
   きれいな眼差だけを残し皆発っていった

   わたしが一番きれいだったとき
   わたしの頭はからっぽで
   わたしの心はかたくなで
   手足ばかりが栗色に光った

 

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしの国は戦争で負けた
 そんな馬鹿なことってあるものか
 ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

 

 わたしが一番きれいだったとき
 ラジオからはジャズが溢れた
 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
 わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしはとてもふしあわせ
 わたしはとてもとんちんかん
 わたしはめっぽうさびしかった

 

 だから決めた できれば長生きすることに
 年とってから凄く美しい絵を描いた
フ ランスのルオー爺さんのように
              ね

     *  *  *  *  *  *  *  * 
 
 1999平成11年10月、茨木73歳。詩集『倚(よ)りかからず』発刊。
   詩集としては七年ぶりの新刊で第八冊目、生前のおける最後の詩集。表題作はこうである。・・・・・・(『清冽』後藤正治)

 

   もはや
   できあいの思想には倚りかかりたくない
   もはや
   できあいの宗教には倚りかかりたくない
   もはや
   できあいの学問には倚りかかりたくない
   もはや
   いかなる権威にも倚りかかりたくはない
   ながく生きて
   心底学んだのはそれぐらい
   じぶんの耳目
   じぶんの二本足のみでたっていて
   なに不都合のことやある

 

   倚りかかるとすれば
   それは
   椅子の背もたれだけ

 

   参考: 『清冽 詩人茨木のり子の肖像』後藤正治2011 中央公論社  

|

« 白鳥は悲しからずや海の青空の青にも染まずただよふ 若山牧水 | トップページ | 明治の郵便あれこれ & 前島密(まえじま ひそか) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 白鳥は悲しからずや海の青空の青にも染まずただよふ 若山牧水 | トップページ | 明治の郵便あれこれ & 前島密(まえじま ひそか) »