小樽港の北西部、手宮洞窟の古代文字
(2025.11.25毎日夕刊・特集ワイド)
<晩秋 日帰りの廃線紀行 茨城・旧鹿島鉄道>(毎日新聞夕刊2025.11.25)
---鉄道の「廃線歩き」が人気らしい。人々を引きつける魅力は何のだろう・・・・・・初心者の私(記者)は、達人の地図研究家、今尾恵介さんに同行してもらい,茨城県へ・・・・・・
~~新旧地図手に夢の跡~~
(以下写真)現役時代の鹿島鉄道=茨城県小美玉市の常陸小川駅 / 途中で途切れるレール / 在りし日の鹿島鉄道を忍ばせる廃線跡 / 鹿島鉄道が廃線になった今も残る、踏切を知らせる道路標識 / 「大正十三年」と書かれている旧鹿島鉄道の橋桁・・・・・・ それに加えて「地図とスマートホンを手がかりに廃線跡を探す今尾恵介さん」の写真。(お元気そうなお姿に思わず「ご無沙汰してます」と言ってしまった)。
---今尾さんは、ちゃんと該当エリアの現役時代の地図を・・・・・・私(記者)の分のコピーも用意して・・・・・・
---北海道小樽市内を走っていた旧国鉄手宮線は、残っているレールや歴史的建造物、町並みも相まって人気が高く、今尾さんも「ベタな廃線マニアじゃあなくても楽しめます」と太鼓判・・・・・・
講座を思いだし、達人の手にかかると廃線もなお趣をます。
北海道は何回か観光している。小樽にもウン十年前に行ったが、あまり覚えてない。
夫と歩いた運河沿い。オルゴール人形を買った煉瓦街、レトロな町並みをちょっと思い出すぐらいである。
そこで、小さなオルゴールのネジを巻いてみた。すると王子様がクルクル回りはじめた。
そう。小樽と言えば、石川啄木「かなしきは小樽の町よ歌ふことなき人々の声の荒さよ」とか、伊藤整「若い詩人の肖像」など文芸に縁が深い北の玄関口なのだ。
それはさておき、石狩湾の海岸にある歴史的建造物って何だろう?
地名事典によると、
--- 地名はアイヌ語「テムムンヤ」(海藻の寄る岸)に由来。
水産加工・漁船関係の工場が多い。 ゴヨウマツの北限。 付近に手宮公園・小樽市博物館・北海道鉄道記念館。 海食洞の手宮洞窟(史跡1921.指定)の壁面に古代文字らしい図がのこる。
国会図書館デジタルコレクションでは次の資料が読める。
『手宮古代文字』(1926大正15年) 小樽市史編纂室 寺田貞次・編。
北海道小樽、港の北西部にある手宮洞窟 (てみやどうくつ)
岸壁に有名な手宮彫刻があり、史蹟に指定。
1866慶応2年、石工の長兵衛が発見したと伝えられる。
この年(慶応2年/明治元年まどあと2年)の出来事
坂本龍馬の斡旋で薩長同盟密約。
第二次長州戦闘開始、幕府軍艦、長州藩領を砲撃。
将軍家茂、大阪城中で没。
全国に農民一揆・打ちこわしなど未曾有に多発・激化する。
1918大正7年、中目覚が古代トルコ文字と解して
<われは部下をひきい、おお海を渡り・・・・・・たたかい・・・・・・この同穴にいりたり・・・・・・>と読んだ。
1944昭和19年、朝枝文裕が古代漢字と考えて
<舟をならべて来たり、末ついにこの地に至り、本営を置く。帝、この下に入る。変あり、血祭す>と解読した。
文字説には賛否両論があり、そのほかに諸説があった。・・・・・・
私見(名取武光)では、手宮彫刻の年代は、今から約2000年前のもので、未開社会の漁・狩猟生活と呪術宗教に関係のある、抽象的に表現された文字以前の彫刻であって、手宮洞窟は当時の神聖な祭場であったろう。・・・・・・
1951昭和26年、彫刻をまったく偽物とする節もあったが、ほど近いところに発見されたフゴッペ洞窟から同様の岸壁彫刻が多数出土したことによって偽物説は否定された。しかし長年月にわたる風化と多少の加刻もあり、原型のままではない。
参考: 『コンサイス日本地名事典』1996三省堂 / 『世界大百科事典』1972平凡社 / 『日本史年表』歴史学研究会編1990岩波書店 / 国会図書館デジタルコレクション
| 固定リンク


コメント