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2026年1月26日 (月)

 小村雪岱:風俗考証・舞台装置に秀で挿絵画家としても優れた美術家

 ちかごろ読書が趣味というには本離れ、それでも<今週の本棚>(毎日新聞)を愉しみにしている。やっぱり本はいい。読みたい本がみつかると嬉しい。
 先日は『小村雪岱デザイン大鑑』が紹介されていた。 雪岱(せったい)という名に覚えがあるけど、内容を思い出せない。ブログに書いたのかなぁ?
 過去記事をみると<2012.6.20愛誦の楽しみ、土井晩翠(宮城県)> に名のみでている。それで改めて当たると現代でも大活躍間違いなしの芸術家のよう。どうやらその節「雪岱」が読めず漢和辞典をひいたらしい。
 ちなみに、岱(タイ)は山の名。泰山をいう。

   華麗な装幀・・・・・・本は表紙だけでなく見返し・口絵・挿絵・・・・・・など様々な箇所に装飾が施されていて、見るものを楽しませてくれます。昨今、電子書籍で読書を楽しむ人が増える一方で、明治から昭和にかけて発行された美しい装幀の本や斬新なデザインの表紙の雑誌が改めて注目を浴びています。特に、画家の橋口五葉、浅井忠、小村雪岱、鏑木清方らがカバーや挿絵などを描いた夏目漱石や泉鏡花の著書は、その豪華さと美しさから「漱石本」「鏡花本」と呼ばれ、珍重されています・・・・・・(2012年6月20日 埼玉県立近代美術館)。

     小村 雪岱    (こむら せったい)

 1887明治20年3月22日、埼玉県川越に生れる。本名、泰輔。
   父・繁文、母・もんの長男。幼くして両親と離別。
 1902明治35年、16歳。単身で上京。
   日本橋檜物町の書家・安並賢輔方に学僕として寄宿。
 1903明治36年、画家を志し、荒木寛畝塾に入門。
 1904明治37年、日露戦争はじまる。
   東京美術学校(東京芸大)日本画科選科に入学。下村観山(明治・大正期の日本画家)教室で学ぶ。
   在学中から古画の模写に優れた腕をみせ、先輩・松岡映丘(大正・昭和期の日本画家)にみとめられ、以後、映丘の下で大和絵を学ぶ。
 
 1905明治38年、安並と養子縁組。
 1908明治41年、卒業。国華社に入る。
   美術雑誌『国華』掲載のための古画の模写をする。
 1910明治43年、退社。

  ?年、小説家、泉鏡花と出会う。
    幻想的で、清澄なロマンあふれる鏡花文学に幼い頃からあこがれていたが、鏡花との交流が深まるにつれて、ますますその世界への共感を深めていく。

 1914大正3年、鏡花の小説『日本橋』の装丁。
   細やかな意匠で、日本橋界隈の風情を美しく描き出したこの装丁は多くの人に絶賛される。
   以後、『鏡花選集』 『鴛鴦帳』など、鏡花本のほとんどの装丁を手がけるようになる。
 1915大正4年、泉鏡花『遊里集』の装幀。
   4月、『祇園夜話(2 冊)』長田幹彦著。千草館「小村雪岱氏の手彩色装幀」。

 1918大正7年、資生堂意匠部に入社。
   チーフデザイナーの矢部季のアール・ヌーボー調のデザインに対し、日本調のデザインを担当、ともに資生堂デザインの基礎を築く。

 1922大正11年、里見弴(大正・昭和期の小説家、有島武郎の弟)の依頼で時事新報連載の小説『多情仏心』に初めて挿絵を描く。
   これを契機に本格的に挿絵に取り組むようになる。
 1923大正12年、退社。

 1924大正13年、松岡の紹介で菊池寛原作『忠直卿行状記』の舞台装置を 手がける。
   この舞台で主演の守田勘弥の信頼を得る。
   以後、つぎつぎと歌舞伎や新派の檜舞台をかざり、その数は250余り、停滞していた演劇界に新風を送り込んだ。
   また、舞台装置と並行して映画の装置制作、考証も行った。
   肉筆画を描くことは少なかったが新興大和絵会(松岡映丘主宰)などに時おり出品。
 1925大正14年、『イソップ物語(画とお話の本;2)』富山房

 1926昭和元年、正宗白鳥『安土の春』舞台装置。
 1927昭和2年、坪内逍遥『桐一葉』舞台装置。
 1929昭和4年、『修養文芸名作選』
   小説17編の挿絵。画家12名の名はイロハ順とある。
   しかし、小説の一編毎に画家の名がなく誰がどれを担当したか判らない。
   挿絵はそのような扱いだったのか、たまたまこのシリーズだけだったのか? 

 1931昭和6年、長谷川伸『一本刀土俵入』舞台装置。
 1933昭和8年、邦枝完二『おせん』で雪岱調といわれる独自の様式を確立。
   ---多岐にわたる雪岱の仕事のなかでも、もっとも本領が発揮された挿絵は、二階席から舞台を見おろしたような奥行きの深い構図、細かい洗練された描線、動きを暗示する人物の印象的なポーズ、大胆なデフォルメや省略によって生れた余白の白と墨でつぶした黒のコントラストも鮮やかな画面処理など、モノクロームの世界である挿絵を知り尽くした上で生み出した独特の表現であった。・・・・・・(『埼玉人物事典』)。

 1934~1935昭和9年~昭和10年、読売新聞夕刊に連載の邦枝完二『お伝地獄』の挿絵は代表作。
   小村雪岱の妖艶な挿絵とともに異常な人気を博し、連載開始後一ヶ月で発行部数が2万余もふえたといわれる。

 1940昭和15年、東宝映画[白鷺]の制作直後、倒れた。
   10月17日、死去。享年53。
   墓所は世田谷区烏山 妙高寺。
   
   小村雪岱画伯逝去
   あきかぜにひるねのくせのまだやまず
       (『久保田万太郎句集』三田文学出版部 昭和17年
 

   参考: 『埼玉人物事典』1998埼玉県立文書館 / 『現代日本文学大事典』1965明治書院 / 『修養全集 第五巻』1929大日本雄弁会講談社 / 『日本人名事典』1993三省堂 

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