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2026年1月12日 (月)

小泉八雲 : 松江こぞってヘルン先生(松江訛りでフェロン先生)敬愛

   小泉八雲 ラフカデイオ=ハーン Lafcadio=Hearn
   イギリス人・英文学者・小説家・随筆家。
 1850嘉永3年、ギリシャの西、レフカス島で生れる。
   父イギリス人、母ギリシャ人。2歳の時、軍医の父は母を連れてダブリンに帰る。
   のち父母は離婚。父は再婚したが死没。
   少年ヘルンは大叔母にひきとられ、運動している時あやまって左目を失明。まもなく大叔母が破産し学校を退学。
   フランスで学び、渡米。
   19歳、アメリカに渡ってジャーナリストになる。
   31歳、タイムズ--デモクラットの文学部編集長、文名あがる。
   37歳、フランス領西インドに赴き、紀行と物語独特の美文で書き、名を知られる。
       かねて日本行きをすすめるものがあったので
          ニューヨーク発、神田経由で日本へ旅立つ。
          (以下引用は主に 国会図書館デジタルコレクション & 参考文献)

 1890明治23年、来日。40歳。

   横浜から松江へ  
   ---バンクーバーから横浜まで13海里の速力で17日を要す。陰気な天気の続いたあとで横浜へ着いた時は快晴であった。富士山と白い四角な帆をあげた多くの船を見ながら入港・・・・・海鴎が手を伸ばして捕まへる事できるほど多いのをみて、パンの屑を投げ與へた・・・・・・動物愛護の盛んなヘルンは喜んだ。
   これらの光景に感激したヘルンは「自分はここで死にたい」と言ったのに対し、(同行の画家)ウエルドンは「そうは思わない。自分はここで生きたい」と・・・・・・明治23年4月4日雛祭の日であった。

   この年、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、渡米中の文部官僚・服部一三と出会い、来日。
   服部の尽力で島根の師範学校と中学校に英語教師として就職。
   ---(アメリカの)ハーパー出版社出版社と絶縁してから、ニューオリンズ博覧会の事務官、当時、文部官僚、普通学務局長・服部一三の斡旋で出雲松江の中学校の英語教師(月額百円)となり、赴任することになったのは日本国にとって、またヘルンに取って不思議の因縁・・・・・・

  ・・・・・・横浜の或寺院で偶然知合いとなった真鍋晃といふ書生を通弁兼案内として横浜を発し岡山に着き、津山を経て鳥取街道鳥取街道に出て下市(鳥取県西部)に達す。ここで始めて盆踊りを見た。

   伯耆米子から小蒸気船で中海を横断、大橋川の水道に入り、大橋河岸に上陸したのは八月末頃であった。九月二日に登校した。
   師範学校にも少し受け持ち時間があった。
   この頃の日本全国は未だ欧米崇拝熱の去らない時代であった。
   ・・・・・・外人の多くは自国の風俗習慣を尊ぶと同時に日本人を半開劣敗の人種と見るのが普通であった。・・・・・・しかるに事実、英米人の多くは、例外はあったが案外に無学無識であった
   ・・・・・・これらと同日の論でないヘルン、人種的国際的宗教的偏見の微塵もないヘルン・・・・・・

   珍しくも今度の西洋人は日本が好きだ。
   日本人が自らつまらぬと思っている物までも好むようだと云ふ声が、学生から父兄へ、学校から市中へ伝わった。
   松江の人は不思議に思つた、感嘆した。さなきだに欧米人でさえあれば日本人に尊敬される時代に、日本を愛好するが故にいっそう日本人からは敬愛されると云ふ好位置に立つ。
   ・・・・・・やがて全市挙ってヘルン先生(松江訛りではフェロン先生)を敬愛するに至ったのも不思議ではない。

 1891明治24年12月、松江の藩士小泉湊の女 節子と結婚
   小泉家は維新前、御番頭を勤めて五百石を食んだ家柄であった。
   母方の祖父は放蕩な主君を三たび諫めて赤坂見附上の主邸内で切腹した出雲で有名な忠臣、盬見増右衛門といふ家老(知行一千四百石)であった。
   夫人の父も・・・・・・織物工場を起したが、士族の商法が多く陥るべき運命に・・・・・・夫人も学問一通り修めたあとで思はぬ不幸 不幸に際してゐた時、勧められてヘルンに嫁することになった。
   ヘルンの人となりはその頃松江中に知れ渡ってゐたので、夫人も不安のうちに安心して嫁したのであった。この結婚は幸福であった
   ヘルンその後の生涯の幸福は云ふまでもなく、著作も夫人に負ふところが多かった
   
   日本婦人の美徳を讃した文章や手紙は中々多い。
   最後の『神国日本』に於て最も多くの紙数を日本婦人の頌徳にささげている。・・・・・・
   元旦に羽織袴で、日本の習慣通り年始の回礼をした。定紋は中学の画学教師 後藤金弥(魚州)にはかりてヘルンの祖先の紋所と同じく、ヘロンとヘルンと似通へるところから鷺を用いた。
    
  ヘルンは事情の許す限り松江に永住するつもりであった。ただ松江の気候冬すこぶる寒く、日本海を吹いて来る風は十三年間南部尾および熱帯地方に慣れていたヘルンには斬るやうであつた。
   ・・・・・・ヘルンの目は寒さにはいつも悪くなつた。
   ・・・・・・熊本第五高等中学校に転任する事となつた。

     怪 談

 怪談は大層好きでありまして、『怪談の書物はわたしの宝です』と云つてゐました。
 私(節子)は古本屋をそれからそれへと大分探しました。
 淋しそうな夜、ランプに芯を下げて怪談をいたしました。ヘルンは私に物を聞くにも、その時には殊に声を低くして息を殺して恐ろしそうにして、私の話を聞いて居るのです。
  ・・・・・・その頃は私の家は化物屋敷のやうでした。私は折々、恐ろしい夢を見てうなされ始めました。この事を話しますと「それでは当分休みませう」といつて、休みました。気に入った話があると、その喜びは一方ではございませんでした。・・・・・・(「思ひ出の記・小泉節子」)

   松江から熊本へ

 1891明治24年、熊本に移り、第五高等学校の英語講師となる。
   文部省参事官・*嘉納治五郎・第三代学校長兼文部相参事官。
      *嘉納治五郎: 明治時代の教育家。講道館柔道の創始者。

       けやきのブログⅡ<柔術から柔道へ、講道館四天王> 

   五校の同僚に夏目漱石がいて彼を慕う教え子の一人が寺田寅彦である。
   また戊辰戦争に敗れた会津藩士秋月悌次郎も同僚であった。その秋月をハーンは「まことに神様のような人」と称えている。
   そのゆくたては、松本健一著『秋月悌次郎 老日本の面影』(辺境社)にくわしい。

    けやきのブログⅡ<2012.6.13 神のような人・秋月悌次郎(福島県会津・熊本)>
    けやきのブログⅡ2017.6.10<秋月・ハーン・漱石・寅彦、旧制熊本第五高等学校(熊本県>

   熊本第五高等中学校の校長は初め嘉納治五郎・・・・・・月報二百円、明治二十四年十一月より二十七年十月まで満三年勤続した。

   ・・・・・・日本間がないのでヘルンは官舎に入らないで、純日本風の家に入ったのであった。漢学の教師 故*秋月胤永はこの官舎に入った。
   ・・・・・・秋月胤永はもと会津の家老、白髯を垂れた愉快そうな老人であつた。ヘルンは松江で籠手田知事を敬愛したと同じ理由でこの秋月先生を尊んで「神」とよんでいる。

 1893明治26年5月、秋月の古希の祝賀会を学校で挙行し職員生徒一同の祝文詩歌を呈した。
   ・・・・・・ヘルン自らの懇篤なる祝文もある。この一小冊子をヘルンは大切に保存していた。

   熊本は松江と違って風流の土地ではない、松江のやうに骨董店や古本屋はない。
 十年の乱(西南戦争)でなくなったとも、初めからないのだとも云われている。松江のやうに茶の湯や生花などの盛んな土地では無い。
 風景は雄大で男性的で大陸的であるとも・・・・・・軍事上の都と云ふ感じを与えるばかりの熊本へ来たヘルンに取っては初めから少し勝手が違ったやうであつた。「大へんよいところを案内する」といつて夫人を連れて行ったのは、高等学校の後ろ細川侯の菩提寺東嶺寺であつた。・・・・・・(後略)

 1894明治27年、日清戦争。
 1896明治29年、帰化。
   以後、東大・早大講師を歴任。
   ヘルンは卓抜した日本理解を示した。 ヘルンが旧日本の代表者と見て尊敬した人々のうちに、籠手田知事、秋月胤永老先生、鳥尾得庵子、浜口梧陵、広瀬中佐、畠山勇子があった。
   そのほか植木や金十郎、家僕萬右衛門、魚屋乙吉、君子、春、「婦人の日記」記者、いずれもヘルンの見た旧日本であった。
   旧日本はやはりヘルンの所謂『偉大なる平民』の間に存していた。
   ヘルンは『八百屋、飴屋、僧侶、神主、占師、巡礼、農夫、漁師、これが自分の世界』であると云つた。
   即ち、西洋学問の博士達や、官吏や、大学教授はヘルンの伍すべき仲間ではなかつた。

 1904明治37年2月、日露戦争。
        9月26日、小泉八雲、死去。享年54。

   ---ヘルンの講義には、日本に何年か住んでいたため、日本人学生の西洋思想の受け取り方をよく知っていた。そのために日本人学生にとっては、かゆいところに手の届くような親切な説明が与えられた。これは東西両様の文化的特質を心得ていたヘルンのような教師だけが授けられる特殊の解明だった・・・・・・(島田謹二『現代日本文学大事典』)。

 

   参考: 『現代日本文学大事典』1965明治書院 / 『日本人名事典』1993三省堂 / 国会図書館デジタルコレクション『小泉八雲全集 別冊』1930第一書房

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