« 『清冽』 詩人茨木のりこの肖像 | トップページ | 小泉八雲 : 松江こぞってヘルン先生(松江訛りでフェロン先生)敬愛 »

2026年1月 5日 (月)

明治の郵便あれこれ & 前島密(まえじま ひそか)

 年賀はがき出した? 届いた? それともスマホで“オメデトウ”?
 いずれにしても筆者はアナログ、郵便がいい。
 中学生時代、友人の紹介で大分県の同世代と文通を始めてけっこう長く続いた。
 その後、成人式を迎えて親に「振り袖いらない」からと汽車賃と小遣いをもらって九州のペンフレンドに会いに行った。
 まだ新幹線がなかった時代の古くて懐かしい思い出である。
 何かの折、そのとき乗った夜汽車とその狭~い三段ベッドを思い出す。
 今はもう無い汽車の三段ベッド。そこは汽車の屋根の真下、高くて狭かった。棚のような寝場所で長時間ゆられてキツかった。
 今思うと滅多に無い経験、怖いもの知らずで大胆だった!

 ちなみに、寝台車を利用したのはその折と、妹とのおばさん二人旅<さよなら寝台特急日本海号(大阪~青森間)3.15>だけである。
 その節、記念スタンプを推した紙をもらったけど、日付のみで年号がなく、惜しい。
 おそらく鉄道ファンなら年月が分かるでしょうが、いつだったのかなあ。
 

        ~~   ~~   ~~   ~~   ~~

 1835天保6年、前島密。越後の高田藩士上野助右衛門の次男に生れ、幕臣・前島家の養子となる。
 1847弘化4年、江戸にでて医学を修め、のち幕府の箱館諸術調所で洋学を学ぶ。

 1853嘉永6年6月3日、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリー、浦賀に来航。
 1868慶応4年~1869明治2年、戊辰戦争。
   前島密、江戸遷都を建言。

 1869明治2年、民部・大蔵の両省に出仕。
 1870明治3年、前島密、郵便制度設立を建議し調査のため渡英。
   3月、郵便切手を採用。
 1871明治4年、前島密、帰国。駅逓頭として近代的郵便制度の確立に尽力。
   郵便役所:江戸時代には飛脚制度があったが、多くは大名の公用のためのもので、民間の需要には、町飛脚だけであった。
   新式郵便のスタートともに民部省駅逓寮下の郵便取扱所が改称。
   民間に業務の公的意味をアピールするため「役所」の文字を付す(郵便局の前身)。

   前島の発議により、東京・大阪間で官営の郵便事業始まる。
   ---大蔵省や内務省の官僚として仕事をこなしながら、郵政の長として郵便事業の育成にあたり、その基礎を築き「郵便の父」とたたえられています。「封便」「郵便切手」などの用語は、前島自身が選択した言葉です・・・・・・(『前島密 業績絵画』)。

     郵便切手 
   新式郵便制度の創始に伴い銭48文、100文、200文、500文の4種が発行された。
   はじめは和紙、のち洋紙使用、種類も多く発行される。

 1872明治5年、
   ---ようやく郵便函を建設するに至り、始めて郵便の資格を備うるに至れり。しかるにこの郵便函につきては随分奇談多く、心なき田舎漢は郵便函を見て垂便函と誤解し、理不尽にも函中に尿便をなしたるものあれば、悪童子は蛇、蛙を投げ込むなどなかなか容易ならざるの有様なりしが、世間もようやく郵便の便を感ずるに至り・・・・・・(『明治日本発掘』)。
 1873明治6年、前島密、郵便切手など基礎を確立。

     郵便はがき:封をする必要もなく他人に見られても構わない文を低料金で往復させるために発行。
       料金:価格は半銭と1銭の二種。形は二つ折りであった。

 1875明治8年1月、郵便為替を開始。
   ---これからは東京よりニウヨルクへ手紙を出すとき、わざわざ外国の切手を買って張りつけるにもるにも及ばず、日本の切手で差し支えなく、ニウヨルクまでその手紙が届くべし・・・・・・(東京日日8・1・3
   5月、郵便貯金を開始。前島はイギリスで郵便貯金が国民の生活や国家の発展に寄与しているのをみて実施することに。

 1877明治10年、西南戦争。
 1881明治14年、明治14年の政変。大隈重信、免官。
   前島密、大隈に従い退官、立憲改進党に参加。のち官界復帰。
 1882明治15年、ポストを立て箱に。
 1883明治16年、新聞紙条例改正(言論取り締りを強化)。
 1885明治18年、大蔵省印刷局・・・・・・種々の模様を付けて彩飾せし年始郵便葉書を発行するという。
   
 1888明治21年、前島(逓信次官)、官営で電話事業を開始。
 1889明治22年2月11日、大日本帝国憲法発布
 1890明治23年7月、第一回総選挙。
 1894明治27年8月、日清戦争。
   日清戦争の記念切手 --- 今回その筋にては征清役の記念切手として、一種の郵便切手を発行することに決し、まず二様の二銭切手を新製するはずにて、その一個は故陸軍大将有栖川熾仁親王殿下の御肖像を・・・・・・ただしこの切手は例の感情云々により戦勝紀念とはいわず、ただ郵政の前途を祝するの趣意にて発行するはず。(皇族の肖像が使われたのは初めて29.1.26 報知・・・・・・(『明治日本発掘』)。

 1889明治32年、特別取扱が一部の局で開始。
 1904明治37年2月、日露戦争。
 1905明治38年、全国の郵便局での取扱を義務化。

 1914大正3年8月、ドイツに宣戦布告。第一次世界大戦参戦。

 1919大正8年、前島密、死去。 享年84。
   新潟県上越市に記念館。一時、東京専門学校長(早稲田)。
   逓信次官もつとめたが、業界に入り各社の重役に就任。国字改良論者としても知られる。

   「前島密没後100年記念」鴻爪痕(前島密ペンネーム
     会期=2019年4月19日~6月16日・郵政博物館 2019年3月29日
     [裏表紙図版]《郵便業業絵巻》郵便外務員出発時の点検(部分)久保田米僊/明治26

 1923大正12年9月1日、関東震災。

 1937昭和12年7月、盧溝橋事件で日中戦争おこる。
 1939昭和14年5月、ノモンハン事件。
     7月、アメリカ、日米通商航海条約廃棄を通告する。
 1940昭和15年、日独伊三国同盟調印。
     非常時のため当分停止を決定。
 1945昭和20年8月、終戦。
 1949昭和24年、「お年玉つき年賀はがき」発売、現在に至る。

 

   参考: 電子書籍『前島密業績絵画』前田青邨[他] (郵政博物館, 2012-06-30) /  「 鴻爪痕-HISOKA MAEJIMA-展 : 前島密没後100年記念 / 電子書籍・電子雑誌」(郵政博物館, 2019-03-29) / 『明治日本発掘』1994河出書房 / 『日本史事典』1981角川書店 / 『日本人名事典』1993三省堂 / 『近現代史用語事典』1992新人物往来社 

 

|

« 『清冽』 詩人茨木のりこの肖像 | トップページ | 小泉八雲 : 松江こぞってヘルン先生(松江訛りでフェロン先生)敬愛 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 『清冽』 詩人茨木のりこの肖像 | トップページ | 小泉八雲 : 松江こぞってヘルン先生(松江訛りでフェロン先生)敬愛 »